「五箇条の誓文」で解く日本史―シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ (NHK出版新書)
先月まで盤石に見えていた安倍政権は、にわかに雲行きがあやしくなってきた。森友文書の改竄問題が麻生財務相に波及することは必至で、焦点は安倍首相の政治責任だ。「安倍一強」の時代は終わり、また「決められない政治」が戻ってくるのだろうか。

本書が語る日本の近代史も、決められない政治の歴史である。その原因はもともと日本に国民国家が存在しなかったことだが、明治維新では「万機公論に決すべし」というデモクラシーを謳い上げた。現実にはその主体になるべき国民はいなかったので、天皇を主権者として、その意思をシラスことが明治憲法の思想だった。

シラスの主語は天皇なのか臣下なのか、はっきりしない。天皇の意思を臣下が忖度し、彼らの意思を天皇が鏡のように映すことで、明治期の政治は成り立った。各官庁と陸海軍がバラバラの統治機構を辛うじて束ねていたのは薩長の藩閥政府だったが、その中心は法律のどこにも書かれていない「元老」だった。その「一強」体制は、大正デモクラシーから崩れてゆく。

暴走したデモクラシー

長州閥が終わったあと日本の政治を支えたのは、政党内閣と天皇機関説だった。五箇条の誓文の「万機公論に決すべし」の理想にもとづく政党内閣を国民が支えるため、1925年に普通選挙が実施され、総力戦に国民を動員する「表の国体」ができた。同時に天皇は機関で主権者は国家だと考える天皇機関説(国家法人説)が、官僚機構を支える「裏の国体」となった。

だがこの組み合わせには無理があった。普通選挙は有権者を買収する金権選挙になり、腐敗に対する怒りからテロが続発し、1930年代には青年将校が決起した。これを政府が抑えようとすると軍部が「統帥権の独立」を主張し、天皇機関説に対して「国体明徴」を主張する右翼が跋扈した。

天皇主権という「表の国体」と、天皇機関説という「裏の国体」の矛盾が政府と軍の対立を生み、最終的には「表の国体」が国家を乗っ取った。デモクラシーは国民を戦争に総動員する体制なので、それが戦争に結びつくのは当然だった。「裏の国体」としての官僚機構はそれに反対したが、正統性を独占した軍には勝てなかった。

一般には明治国家を天皇主権と民権の対立と考え、「民権が大正デモクラシーに成長したが、昭和に入って軍部の暴走を止められなかった」という図式でみるが、実際には逆で、むしろ1930年代にはデモクラシーの暴走が起こったとみたほうがよい。それは総力戦体制としては必然で、大政翼賛会はその究極だった。

「裏の国体」が日米同盟になった戦後の日本では、戦前と同じ失敗が繰り返される心配はないが、裏の主権者であるアメリカに抵抗する勢力は皆無だ。アメリカの戦争に巻き込まれる可能性もゼロではないが、それを憲法で防ぐことはできない。戦前と違って戦後の日本は(よくも悪くも)主権国家ではないからだ。