「財務省が書き換えたと主張する朝日新聞は証拠を出せ」という人は(私を含めて)たくさんいる。財務省が新しい証拠を出さなければ、それしか国会を打開する手段がないからだ。幸い週明けには財務省が「書き換え」を認めるようだが、それでも国会が動かなければ、挙証責任は「書き換え」を報じた朝日新聞にある。
朝日に証拠の開示を要求することは間違っていない。取材源の秘匿は「職務上の秘密を守る」という業界ルールにすぎず、法的に保護された権利ではないからだ。なぜジャーナリストだけが、他人の違法行為をいうとき証拠を出さなくていいのか。「書き換え」を報じたのが一般人のブログだったら、朝日新聞と違って文書を出す義務があるのか。「ジャーナリスト」の定義は何か。それは「ブロガー」とどう違うのか。
――と考えればわかるように、取材源を秘匿する「ジャーナリストの権利」なんて法的には存在しない。これこそジャーナリズムの「いろはのい」であり、大学でもそう教えることが正しい。江川紹子さんが、ネット時代に「ジャーナリストだけに取材源を秘匿する特別の権利がある」と思い込んでいるとすれば、それは単なるマスコミの特権意識である。
取材源を秘匿することは、医師が患者の秘密を守り、弁護士が依頼人の秘密を守るのと同じだが、こうした守秘義務が法的に規定されているの対して、ジャーナリストには法的な義務がない。それは法的な免許も資格もなく、ネット時代には「私はジャーナリストだ」と名乗れば、誰でもなれるからだ。
したがってジャーナリストがその取材源を守るために捜査を拒否することもできない。民事では証言を免除した判例はあるが、一般的な権利として認められたものではない。アメリカでは2003年にNYタイムズのジュディス・ミラー記者が法廷で証言を拒否して、法廷侮辱罪で拘置所に収監された。
もちろんジャーナリストも医師や弁護士と同じように秘密を守らないと取材できないが、その範囲は明らかではない。たとえば朝日新聞が検察の強制捜査を受けても秘密を守ったとしても、週刊朝日はどうだろうか。記者が個人的に捜査に協力を求められたら、拒否できるだろうか。
逆にいうとSNSでも他人の秘密を明かしたら信用されないので、秘匿しなければならない。両者に本質的な差はない。取材源の秘匿は事実上の職業倫理であり、それを担保していたのはマスコミの特権意識だった。その時代は、終わりつつある。