佐藤栄作 最長不倒政権への道 (朝日選書)
戦後の日米関係は密約だらけで、その全貌がわかってきたのは最近である。特に重要なのは、沖縄返還の際に佐藤栄作がニクソンと結んだ「核密約」だ。1969年に日米共同声明で「核抜き・本土並み」の返還が決まったのと同時に「有事の核持ち込み」を日米首脳の「議事録」で約束していた。

その存在は佐藤の密使としてキッシンジャーと交渉した若泉敬が著書で明らかにし、「密約なしで沖縄返還は実現できなかった」と主張した。2009年に民主党政権が密約の存在を確認したが、正式の外交文書とは認めなかった。それは日米首脳が私的にかわしたメモであり、のちの首相にも引き継がれていないからだ。

実際には返還以降、沖縄に核が配備されたことはない。米軍の核兵器の主力は原潜に搭載したSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)になっており、沖縄の基地に配備する必要はないからだ。では返還交渉で「核抜き」が最大の争点になり、密約までかわされたのはなぜか?

本書は交渉の経緯を最新の資料で検証した結果、「核密約が必要だったかどうかは疑問だ」という。当時すでに沖縄に配備された戦術核(メースB)は旧式になり、SLBMの射程距離のほうが大きかった。もともと米軍は戦術核を撤去する予定だったが、日米交渉でそれを返還の条件にして(本当の目的である)基地の自由使用を維持するのがねらいだったのではないか。

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