朝日新聞やガラパゴス憲法学者をバカにするのはもう飽きたが、「国際政治学者」にも「イスラム法学者」にも常識が欠落しているので、わかりきったことだが補足しておく。日米安保条約が存続する限り、アメリカが日本の核武装を認めることはありえない。日米同盟の目的は、旧敵国たる日本の軍事的自立を阻止することだったからだ。
日米安保は「日本を守る条約」ではなく、来たるべき第3次大戦で日本を前進基地として犠牲にして「自由主義陣営」を守る条約だった。これは1950年代には、「全面講和」派も「片面講和」派も認識していたことだ。丸山眞男はこう書いている。
しかし日本のような地政学的な位置にある国が、「自主防衛」で(当時の知識人の理想としていた)スイスのような中立を守れるはずがない。何らかの軍事同盟に入らないと生き残れないことは明白であり、それは今も同じである。
その場合、米ソのどちらと同盟を組むかは今では明らかだが、当時は違っていた。日米同盟は占領統治という既成事実に屈して社会の進歩の道を閉ざすものであり、日本は社会主義のオプションももつべきだ、と丸山は考えたのだ。
アメリカの立場は一貫しており、1971年の国務省文書でも「在日・在沖縄米軍基地は米軍の兵站のためにあり、戦略的な広い意味においてのみ日本防衛に努める。核の傘は、いずれにしても米国が自国の防衛のために維持するので、それによって日本の防衛に対する直接的なコストはかかっていない」と書かれている。
1997年の防衛ガイドラインにも「日本の防衛には自衛隊が主たる責任をもつ」と明記されており、米軍の責任はその支援だけだ。この背景には、日本がいつも「憲法の制約」という言い訳で同盟国の義務を果たしてこなかったという不信感がある。
民進党の前原代表は「安保法制は憲法違反だ」という公式見解を(代表選挙では)繰り返していたが、こういう奇妙な建て前論が日米関係を混乱させる元凶である。彼は本来は改憲論者なので、過去の公式見解は封印し、日米同盟を機能させるために政権に協力すべきだ。
日米安保は「日本を守る条約」ではなく、来たるべき第3次大戦で日本を前進基地として犠牲にして「自由主義陣営」を守る条約だった。これは1950年代には、「全面講和」派も「片面講和」派も認識していたことだ。丸山眞男はこう書いている。
仮に自由主義と共産主義とが原理的に全く反撥すると仮定しても、そのことから、その一を奉ずる国家ないし国家群と他を奉ずる国家ないし国家群とが、必ず対立し反撥するという結果は出て来ない。[…]逆に相似たイデオロギーを持った国家が干戈を交えた例は、史上殆ど枚挙に暇がない。(「三たび平和について」)そして彼はクインシー・ライトの「民主政治の国々が専制政治の国々より戦争に介入する度合がヨリ少なかったという証拠は殆ど出て来ない」という言葉を引用して、暗にアメリカがまた日本を攻撃する可能性はゼロではないと示唆している。安保条約はアメリカの攻撃に対して日本を武装解除したが、アメリカは日本を防衛する義務を負わなかった。
日米同盟を混乱させる憲法論議
これは今では荒唐無稽にみえるだろうが、1950年当時はそうではなかった。日米同盟は「アメリカを信用して中ソと対立する」か「中ソを信用してアメリカと対立する」かという選択の中で前者をとるものだが、知識人の多数派は後者だった。全面講和は両者を足して2で割る保守的な主張だったのだ。しかし日本のような地政学的な位置にある国が、「自主防衛」で(当時の知識人の理想としていた)スイスのような中立を守れるはずがない。何らかの軍事同盟に入らないと生き残れないことは明白であり、それは今も同じである。
その場合、米ソのどちらと同盟を組むかは今では明らかだが、当時は違っていた。日米同盟は占領統治という既成事実に屈して社会の進歩の道を閉ざすものであり、日本は社会主義のオプションももつべきだ、と丸山は考えたのだ。
アメリカの立場は一貫しており、1971年の国務省文書でも「在日・在沖縄米軍基地は米軍の兵站のためにあり、戦略的な広い意味においてのみ日本防衛に努める。核の傘は、いずれにしても米国が自国の防衛のために維持するので、それによって日本の防衛に対する直接的なコストはかかっていない」と書かれている。
1997年の防衛ガイドラインにも「日本の防衛には自衛隊が主たる責任をもつ」と明記されており、米軍の責任はその支援だけだ。この背景には、日本がいつも「憲法の制約」という言い訳で同盟国の義務を果たしてこなかったという不信感がある。
民進党の前原代表は「安保法制は憲法違反だ」という公式見解を(代表選挙では)繰り返していたが、こういう奇妙な建て前論が日米関係を混乱させる元凶である。彼は本来は改憲論者なので、過去の公式見解は封印し、日米同盟を機能させるために政権に協力すべきだ。


