教育には、人的資本を高める効果とシグナリングの機能がある。小・中学校の教育は人的資本を高める効果が高いが、高校教育の効果は疑問だ。大学(特に文系)が人的資本を高める効果はほとんどないが、一流大学の私的収益率は高い。それは「私の能力は高い」と示すシグナリングの効果が大きいからだ。

これを簡単な図で考えよう。2人の労働者AとBがいて、生涯賃金も勉強のコストも教育年数の増加関数だが、Aの勉強コストはBより高いとする。企業がAとBのどちらを雇うか判断するとき、どちらも「私の能力は高い」といっても、Aが高卒でBが大卒だと、Bのほうが勉強のコストが低いことがわかる。Bの生涯賃金よりコストが高くなる教育レベルが高いからだ。

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勉強のコストが能力の減少関数だとすると、企業は2人の能力を知らなくても、学歴というシグナルを見ればよい。だから大学で人的資本が高まる効果がゼロだとしても、大学の存在価値はある。学歴というシグナルで、企業が有能な労働者を選別するコストを節約できるからだ。

ここで大学(高等教育)を無償化すると、Aの勉強コストが下がってBと同じになるとしよう。そうすると両方とも大卒になるから、企業はどっちが有能かわからないので、2人をランダムに採用して同じ賃金を払う。有能な労働者はそんな企業には行かないので、無能な労働者だけが来る逆淘汰が起こってしまう。つまり高等教育を全面的に無償化すると、大学のほとんど唯一の効果である情報節約機能がなくなるのだ。
情報コストで信用させる

シグナリングは、情報の非対称性の対策の一つである。これは単なる不確実性とは違い、一方が情報をもっていて他方がもっていない状況をいう。両方が情報をもっていなければ確率論的に問題を解決できるが、一方だけがもっていると、それを戦略的に利用して相手を欺くことができる。

逆淘汰の古典的な例として知られているのが、アカロフの中古車の話だ。中古車を売るときは塗装や内装できれいにするので、ディーラーは不良品(レモン)を知っているが、客にはわからない。

こういうとき客が不良品をつかまされることを恐れると、まともな車も売れなくなって価格が下がり、そうするとまもとな車を出品する人がいなくなる…という逆淘汰が起こって、市場が崩壊する。その原因は、中古車の質を見分ける指標がないからだ。これはディーラーも困るので、たとえば「3年間品質保証」というサービスをする。

ここで重要なのは、情報コストをかけることだ。たとえば「この車は安くてお買い得ですよ」というのはタダなので、客としては信じていいかどうかわからないが、3年保証なら故障したらディーラーがコストを負担するので、信用できる。このように情報コストをかけることが、シグナリングの本質である。

学歴の「軍拡競争」に歯止めをかけよう

これは教育の場合も同じで、大学を全面無償化したらコストはゼロになる。勉強するコストはゼロにはならないが、日本の場合は卒業は簡単だ。むしろ私立大学の高い授業料は、その元が取れない大学への進学を阻止する要因になっているので、三流大学でも無償で入れることになったら、勉強する気のない学生も進学するだろう。

他方で優秀でも貧しい家庭の子は、進学をあきらめるかもしれない。この場合には貸与型奨学金がシグナリング装置になる。今の私学助成をすべて奨学金として貸し付ければ、その元が取れる学生だけが借りるだろう。定員割れになっているような私立大学は高卒と同じ待遇なので、奨学金のほうが高くつく。

シグナリングは大学で人的資本が増えるかどうかとは無関係だから、公的に補助すべきではない。公的投資が正当化されるのは、それによる「外部効果」が補助金より大きい場合だから、小中学校は正当化できるが、大学はできない。私的収益率は高いので、政府が補助する理由がない。

むしろ学歴のような非生産的な競争に歯止めをかける必要がある。アメリカでは今や学部卒では差別化できないので、MBAが必須になっている。みんなが高学歴になると、自分も高学歴でないと同じシグナルが出せない「軍拡競争」のようなものだ。

ハーバード大学やスタンフォード大学の学費は4年で20万ドルを超えるが、その収益率は高いので、世界中から学生が殺到する。これは不動産と同じバブルだが、グローバルに起こっているので、つぶすことはむずかしい。文部科学省は一時バブルに乗ろうとして「大学院重点化」したが、結果的には大量の「高学歴フリーター」をつくってしまった。その教訓を学ぶべきだ。