日本はなぜ核を手放せないのか――「非核」の死角JBpressにも書いたが、来年、日米原子力協定が切れる。原発のほとんどが止まっている日本は、余剰プルトニウム47トンをどう処理するのか、アメリカに説明を求められるだろう。その理由は、高速増殖炉がなくなった今は、核武装の技術的オプションをもつことしかない。これはいま核武装するという意味ではないので、核拡散防止条約には違反しない。

それが本書のタイトルの答であり、秘密でも死角でもない。政府は国会で「核武装は合憲だ」と答弁している。著者は反原発派なので、核兵器そのものが悪だという前提で「核密約」を糾弾しているが、兵器は単なる手段であり、よくも悪くもない。アメリカの「核の傘」がなくなったら、日本が核武装する必要があるかもしれない。ただしプルトニウムは47トン(原爆6000発分)も必要ないので、余剰プルトニウムは売却すればいい。

ところが原子力推進派も、私が「日本の原子力開発には核兵器がからんでいたのでは?」と質問すると、血相を変えて怒る。「最初から100%平和利用であり、核兵器への転用なんか考えたこともない」というのだ。考えたことはないかもしれないが、客観的にみて原発はプルトニウム製造装置である。正力松太郎が東海村に導入したコールダーホール炉は、イギリスが兵器用プルトニウムの生産を目的に開発したものだった。
日米原子力協定は必要か

アメリカは「旧枢軸国」がまた軍事大国になることを真剣に恐れていた。NPTは日本とドイツの核武装を排除することが最大のねらいだったので、日本がプルトニウムを保有することは脅威になる。1977年にカーター政権は核燃料サイクルをやめ、日本にもやめるよう求めた。

ここで日本もやめればよかったが、1956年に核燃料サイクルを組み込んだ原子力長期計画を立て、1975年には東海村の再処理施設を完成していた。石油危機で資源の枯渇リスクに直面した通産省は、高速増殖炉を頼りにして再処理の計画を続行した。電力業界は個別に査察しない包括的事前同意を求め、1988年に原子力協定を結んだ。

このころからアメリカは、核燃料サイクルを強行した日本に疑念をもっていたと思われる。六ヶ所村の再処理工場で印象的なのは、IAEAの査察官が24時間勤務でプルトニウムの量を監視していることだ。NPT加盟国の中で唯一、核兵器をもたないのに大量のプルトニウムを保有する日本は、1ヶ月もあれば核兵器をつくることができ、1年あれば核弾頭を搭載した弾道ミサイルをつくれる潜在的脅威なのだ。

ところが日本人は、こうしたアメリカの警戒を知らない。民主党政権は2012年に「革新的エネルギー・環境戦略」と称して「2030年代に原発ゼロ」という計画を発表したが、アメリカに「プルトニウムはどうするのか」と問い詰められ、六ヶ所村は「再処理しないなら核廃棄物を拒否する」と抗議した。当時の枝野経産相は青森県知事に謝罪し、この「エネルギー戦略」は閣議決定できなかった。

こうして核燃料サイクルは元に戻り、安倍政権はもはや経済的には意味のなくなった再処理を続けようとしているが、再処理工場の完成は来年に「延期」された。「もんじゅ」なきあと、プルトニウムを消費する計画をどう示すのか。今のところMOX燃料の使える原子炉は全国で3基しかなく、プルトニウムを毎年1トン消費するのがせいぜいだろう。

他方、六ヶ所村の使用ずみ燃料処理能力は800トンある。このまま再処理工場を稼働すると、ウランの2倍のコストをかけてMOX燃料をつくる意味不明のプロジェクトになる。そのコストはフォン・ヒッペルなどの専門家の予想では、向こう40年で8兆円以上だ。

高速増殖炉を使わないのなら再処理は必要ないので、原子力協定を来年で終了してもよい。核武装にはプルトニウムは1トンもあれば十分だから、あとは売却してもよい。日米同盟がある限り、核武装のオプションを行使することは賢明ではないが、日米同盟が永遠ではない以上、核オプションはもっておいたほうがよい。