アメリカ外交50年 (岩波現代文庫)
韓国の政権が崩壊し、朝鮮半島に「力の空白」が生じている。1950年に朝鮮戦争が起きたのも、アチソン国務長官が、「アメリカが責任を持つ防衛ラインは日本までだ」と発言し、韓国に言及しなかったことがきっかけだった。本書はジョージ・ケナンが「封じ込め」戦略を書いたX論文で有名だが、1979年の増補版では朝鮮戦争についても書いている。

彼の「封じ込め」は冷戦期のアメリカの外交方針になったが、ここには誤解があった。Containmentは「中に入れておくこと」という意味で、軍事的に抑え込むという意味はなかった。モスクワ大使館に7年いたケナンは、ソ連が信頼できないことを知っていたが、アメリカを攻撃する実力はないので、その勢力拡張を防いで力の均衡を維持すべきだ、というのが「封じ込め」の意味だった。
第3次世界大戦は不可避か

ケナンは日本に再軍備を求めないで中立化し、朝鮮半島に「民主的な選挙で選ばれた政権」を樹立すべきだと考えていた。ソ連の南下を防ぐ前線基地は、日本ではなく朝鮮半島だと考えていたからだ。ところが彼は国務省の主流からはずされ、在韓米軍が大幅に削減された直後に朝鮮戦争が起こった。そこにはアメリカの大きな誤算があった。

それは「スターリンはヒトラーと同じような狂人だから、ソ連は戦争を仕掛けてくる」という確信で、アメリカの世界戦略はすべてその前提で組み立てられた。この原因はケナンの提唱した「封じ込め」戦略だったが、彼はソ連がそんな戦力をもっていないことを知っていたので軍拡に反対した。

しかしダレスを初めとする国務省の主流は第3次大戦は避けられないと信じ、その前進基地を日本にするために再軍備を求めた。これをソ連の側からみると、日本がアメリカの前進基地になるなら、日本を攻撃するより、アメリカが「関心がない」と表明した(ようにみえた)朝鮮半島で、金日成が軍事的冒険に出ることを許したとも考えられる。

それを防ぐ手段はスターリンと交渉することだったが、国務省は朝鮮戦争をまったく想定していなかった。これも今思えばアメリカの戦略的な判断の誤りだが、第3次大戦が起こるかどうかは誰にもわからなかった。結果として起こらなかったのは幸いだが、それに備えないという選択はなかっただろう。

ただその前進基地を朝鮮半島ではなく、日本に置こうとしたことは奇妙である。当時の日本にとって再軍備は受け入れがたいもので、朝鮮戦争が起こってから在日米軍基地が撤退することは考えられなかったので、1951年に吉田茂はダレスの要求を拒否した。それはアメリカの極東政策の大きな誤算となり、その「ねじれ」は今日まで続いているのだ。