日本は世界でもっともクリスチャンの少ない国である。その信徒数は、人口の1%を超えたことがない。私の父は洗礼を受けたクリスチャンだったので、私は小学校のころ日曜学校には行ったが、そのリアリティのなさにうんざりしてやめた。
その一つの原因は、日本に入ってきたのが16世紀に宗教改革で「近代化」した後だったことだろう。初期のキリスト教はローマ帝国の国教が各国の土着宗教と「習合」したもので、一貫した教義はなかった。クリスマスもイースターも、もとはゲルマン人の民俗信仰だった。
キリスト教をモデルとしたデュルケームやウェーバー以来の宗教社会学では、教義のない宗教などというものは「呪術」でしかないが、その意味では中世までのカトリック教会も呪術に近い。信徒はラテン語の聖書を読めず、聖職者の説教しか知らなかったからだ。それをドイツ語に訳して印刷したルターは「反逆者」だった。
これは日本人が仏教の教義を(僧侶以外は)知らないのと同じである。経文は葬式のとき漢文で読むだけで、誰もその意味は知らない。仏教は国家が庶民を統治するイデオロギー装置であり、大事なのは同じ宗派を近所の人も信じているという「空気」だった。
しかし日本にやってきたイエズス会の宣教師(カトリック)は、プロテスタントに対抗してその教義を伝えようとしたので、武士には信者ができたが、一般庶民には難解で受け入れられなかった。その例外が、九州に残ったカクレキリシタンである。
これは江戸時代に230年にわたって受け継がれ、今も長崎に残る庶民の信仰だが、17世紀初めに宣教師が殉教したあと口づてに伝えられたので、「オラショ」と呼ばれる祈りはラテン語がなまって意味不明になった。彼らの信仰は固く、摘発されて死罪になっても転ばなかったが、取り調べた役人は彼らが教義をほとんど知らないことに驚いたという。
続きは9月9日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
その一つの原因は、日本に入ってきたのが16世紀に宗教改革で「近代化」した後だったことだろう。初期のキリスト教はローマ帝国の国教が各国の土着宗教と「習合」したもので、一貫した教義はなかった。クリスマスもイースターも、もとはゲルマン人の民俗信仰だった。
キリスト教をモデルとしたデュルケームやウェーバー以来の宗教社会学では、教義のない宗教などというものは「呪術」でしかないが、その意味では中世までのカトリック教会も呪術に近い。信徒はラテン語の聖書を読めず、聖職者の説教しか知らなかったからだ。それをドイツ語に訳して印刷したルターは「反逆者」だった。
これは日本人が仏教の教義を(僧侶以外は)知らないのと同じである。経文は葬式のとき漢文で読むだけで、誰もその意味は知らない。仏教は国家が庶民を統治するイデオロギー装置であり、大事なのは同じ宗派を近所の人も信じているという「空気」だった。
しかし日本にやってきたイエズス会の宣教師(カトリック)は、プロテスタントに対抗してその教義を伝えようとしたので、武士には信者ができたが、一般庶民には難解で受け入れられなかった。その例外が、九州に残ったカクレキリシタンである。
これは江戸時代に230年にわたって受け継がれ、今も長崎に残る庶民の信仰だが、17世紀初めに宣教師が殉教したあと口づてに伝えられたので、「オラショ」と呼ばれる祈りはラテン語がなまって意味不明になった。彼らの信仰は固く、摘発されて死罪になっても転ばなかったが、取り調べた役人は彼らが教義をほとんど知らないことに驚いたという。
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