日本の「保守派」に特有の錯覚は、明治時代の制度や文化を「日本古来の伝統」として美化することだ。彼らにとっては、靖国神社に代表される「国体」を復古し、「幕府」を倒して天皇を本来の地位に戻したのが明治維新だということになっている。
しかし幕府というのは、徳川家の使った言葉ではない。「鎌倉幕府」も「室町幕府」も、当時の名称ではなかった。それは後期水戸学(藤田幽谷)が、主権者たる天皇の任命した将軍が天皇の地位を簒奪した、という彼らの倒錯した歴史観を正当化するために使い始めた蔑称である。
だから「勤王の志士」が維新を実現したというのも司馬遼太郎のお話で、徳川政治体制は構造的に自壊したのだ。その原因は尊王でも攘夷でもなく、250年の天下泰平の中で武士に浸透した「平和ボケ」だった。
続きは2月20日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。
しかし幕府というのは、徳川家の使った言葉ではない。「鎌倉幕府」も「室町幕府」も、当時の名称ではなかった。それは後期水戸学(藤田幽谷)が、主権者たる天皇の任命した将軍が天皇の地位を簒奪した、という彼らの倒錯した歴史観を正当化するために使い始めた蔑称である。
だから「勤王の志士」が維新を実現したというのも司馬遼太郎のお話で、徳川政治体制は構造的に自壊したのだ。その原因は尊王でも攘夷でもなく、250年の天下泰平の中で武士に浸透した「平和ボケ」だった。
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