今週のJBpressのコラムは難解だと思うので、ちょっと解説しておこう。戦後日本の国体というのは、篠田英朗『集団的自衛権の思想史』から借りた言葉だが、日本の直面しているアイデンティティ・クライシスを表現する名言だと思う。
それは「表」では国民主権と平和憲法で「諸国民の公正と信義に信頼して国を守る」というケルゼン的な実定法主義だが、「裏」ではアメリカという「憲法制定権力」の支配するシュミット的な日米軍事同盟で国を守る「ケルゼンとシュミットの野合」である――などというとよけい難解だが、これを右翼は「押しつけ憲法」と嘆き、左翼は「対米追従」と批判してきた。
ここで名目的な主権は日本国民にあるが、実質的な憲法制定権力は今もアメリカにある。丸山眞男は明治憲法について、同じようなことを「顕教」と「密教」という言葉で語った。そこでは上杉慎吉の天皇親政が顕教で、美濃部達吉の天皇機関説が密教だった。丸山の主張した「全面講和」はこのような欺瞞を打破しようとしたが、それは新たな国体をつくってしまった。
それは「表」では国民主権と平和憲法で「諸国民の公正と信義に信頼して国を守る」というケルゼン的な実定法主義だが、「裏」ではアメリカという「憲法制定権力」の支配するシュミット的な日米軍事同盟で国を守る「ケルゼンとシュミットの野合」である――などというとよけい難解だが、これを右翼は「押しつけ憲法」と嘆き、左翼は「対米追従」と批判してきた。
ここで名目的な主権は日本国民にあるが、実質的な憲法制定権力は今もアメリカにある。丸山眞男は明治憲法について、同じようなことを「顕教」と「密教」という言葉で語った。そこでは上杉慎吉の天皇親政が顕教で、美濃部達吉の天皇機関説が密教だった。丸山の主張した「全面講和」はこのような欺瞞を打破しようとしたが、それは新たな国体をつくってしまった。
GHQに迎合して変節した「護憲派」
戦後の国体を決める結果になったのは、1958年にできた憲法問題研究会だった。これは同じ年に岸内閣のつくった憲法調査会に対抗して岩波書店の吉野源三郎がつくったもので、丸山のほか宮沢俊義と我妻栄が入ったことが決定的だった。
宮沢は戦前にはケルゼン的な立憲主義を教えていたが、これは「国体」を重視する風潮とは違うので、右翼の攻撃が強まると体制迎合的になり、丸山の言葉では「漫談みたいな意味不明の授業になった」。終戦直後には憲法の政府案(いわゆる松本案)をつくったが、それがGHQに否定されるとそれに迎合し、「8月革命」という荒唐無稽な説を唱えた。
これは戦前の国体と新憲法が「革命」で断絶しているという話で、明治憲法とのケルゼン的な整合性を無視して憲法制定権力たるGHQを擁護し、主権者たる日本国民が自主的に憲法を制定したというフィクションだった。それは今の憲法の根底に、シュミット的な非合理主義が潜んでいることを示している。
右派のルサンチマンと左派の平和ボケ
宮沢はその後も変節を繰り返し、憲法問題研究会では改正に反対の立場をとった。かつてGHQが彼の書いた明治憲法の改正案を否定して「戦力をもたないで平和を守る」というナンセンスな憲法を書いたのは、日本を無力化する一時的な措置だったことを彼は誰よりも知っていたはずだが、その屈辱を晴らすチャンスをみずから捨てたのだ。
結果的には、この1958年が戦後の国体の分水嶺だった。当時は自民党も憲法改正を党是として掲げていたが、両院の2/3を取ることはできなかった。その代わり警察予備隊は自衛隊になり、安保条約は改正されて、高度成長の中で次第に戦後の国体は定着した。
これについて右派は従属国家についてのルサンチマンを繰り返し、左派は永続敗戦論などという平和ボケだが、どちらも日本が「属国」だという現状に不満をもっている。しかし本当の問題は、ほとんどの日本人が戦後の国体になじんで、その矛盾を意識しなくなったことだ。
それは日米同盟が今のまま永遠に続くなら忘れてもいいが、トランプはそれが永遠ではないことを気づかせた。それを変えることは容易ではないが、まず必要なのは、日本が戦後ずっと抱えてきた国体の矛盾に向き合うことだ。トランプがそのきっかけになれば、日本にとってはすばらしい大統領になるかもしれない。
戦後の国体を決める結果になったのは、1958年にできた憲法問題研究会だった。これは同じ年に岸内閣のつくった憲法調査会に対抗して岩波書店の吉野源三郎がつくったもので、丸山のほか宮沢俊義と我妻栄が入ったことが決定的だった。
宮沢は戦前にはケルゼン的な立憲主義を教えていたが、これは「国体」を重視する風潮とは違うので、右翼の攻撃が強まると体制迎合的になり、丸山の言葉では「漫談みたいな意味不明の授業になった」。終戦直後には憲法の政府案(いわゆる松本案)をつくったが、それがGHQに否定されるとそれに迎合し、「8月革命」という荒唐無稽な説を唱えた。
これは戦前の国体と新憲法が「革命」で断絶しているという話で、明治憲法とのケルゼン的な整合性を無視して憲法制定権力たるGHQを擁護し、主権者たる日本国民が自主的に憲法を制定したというフィクションだった。それは今の憲法の根底に、シュミット的な非合理主義が潜んでいることを示している。
右派のルサンチマンと左派の平和ボケ
宮沢はその後も変節を繰り返し、憲法問題研究会では改正に反対の立場をとった。かつてGHQが彼の書いた明治憲法の改正案を否定して「戦力をもたないで平和を守る」というナンセンスな憲法を書いたのは、日本を無力化する一時的な措置だったことを彼は誰よりも知っていたはずだが、その屈辱を晴らすチャンスをみずから捨てたのだ。
結果的には、この1958年が戦後の国体の分水嶺だった。当時は自民党も憲法改正を党是として掲げていたが、両院の2/3を取ることはできなかった。その代わり警察予備隊は自衛隊になり、安保条約は改正されて、高度成長の中で次第に戦後の国体は定着した。
これについて右派は従属国家についてのルサンチマンを繰り返し、左派は永続敗戦論などという平和ボケだが、どちらも日本が「属国」だという現状に不満をもっている。しかし本当の問題は、ほとんどの日本人が戦後の国体になじんで、その矛盾を意識しなくなったことだ。
それは日米同盟が今のまま永遠に続くなら忘れてもいいが、トランプはそれが永遠ではないことを気づかせた。それを変えることは容易ではないが、まず必要なのは、日本が戦後ずっと抱えてきた国体の矛盾に向き合うことだ。トランプがそのきっかけになれば、日本にとってはすばらしい大統領になるかもしれない。
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