集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保 (風のビブリオ)
安保法制をめぐる空騒ぎは終わったが、今も不思議なのは多くの憲法学者が反対運動に参加し、閣議決定はクーデターだという類のバカな話を繰り返したのはなぜかということだ。本書の最初に出てくる木村草太氏は『潮』2014年9月号で安保法制について「この閣議決定の範囲におさまる法案が起草されていくのであれば、憲法上も問題はないと考えています」と語っている。

ところが長谷部恭男氏が憲法審査会で「安保法制は違憲だ」と言って大騒ぎになった直後の2015年6月の記事では、木村氏は一転して「集団的自衛権の行使を基礎付ける憲法の条文は存在するか。これは、ネッシーを探すのと同じくらいに無理がある」という。その直前まで左といっていたのに、親分が右といえば右というのはわかりやすい。

憲法学者は個別的自衛権は合憲だが集団的自衛権は違憲だと信じているらしいが、著者も指摘するようにそんな根拠は、憲法はもちろん国際法にもない。国連憲章は、個別的自衛権と同じく集団的自衛権を認めており、日本以外の国にこんな奇妙な自衛権の解釈はないのだ。国内法で閉じたガラパゴス憲法学者は、戦後日本思想史の恥部である。
「最小限度の防衛力」が「個別的自衛権」に化けた

終戦直後に「松本案」と呼ばれる政府案を書いた宮沢俊義は、戦時中は恩師の美濃部達吉を裏切って時局迎合的な講義をしていた。しかしGHQが国民主権を明記した憲法を起草すると、一転して「八月革命で国民が主権者として憲法を書いた」という荒唐無稽な説でそれを「押しつけではない」と主張した。

このため「表」では主権者たる国民が国を守ることになっているが、軍備なしで国防はできないので、「裏」では日米安保条約で日本を守る戦後日本の国体ができた。当時アメリカの最大の目的は連合国(国連)の代表として「敵国」である日本を無力化して監視することだったので、東京の周囲に多くの基地を置いた。

1951年の安保条約は占領統治の延長だったが、60年に岸信介が改正して対等な軍事同盟に近い形になった。このころ安保の位置づけは変わり、冷戦の激化する中で日本を橋頭堡にすることが目的になった。ここで重要なのは沖縄(アメリカの信託統治領)の基地で、ベトナム戦争には沖縄から爆撃機が出撃した。

しかし80年代に日本はアメリカの傘下にある小国ではなく経済的なライバルになり、冷戦が終わると日本を守る理由もなくなった。90年代から日米の距離は大きくなり、湾岸戦争などで「応分の負担」を求めるようになった。集団的自衛権も、そのころからアメリカが求め始めた。

これに対して国際情勢に無知な憲法学者は、宮沢の欺瞞的な「八月革命」にもとづいて、平和を守ることと「平和憲法」を守ることを混同し、世界にも例のない一国平和主義を既成事実として守ることを使命とするようになった。野党も安保条約で実質的な安全が確保されると、それにただ乗りして「非武装中立」を主張するようになった。

安保条約と米軍基地があるので、当初の自衛隊は「専守防衛」の無力な軍隊でもよかったが、アメリカが防衛負担を要求するようになると、政府は「必要最小限度の防衛力はもてる」という見解を表明するようになった。当然ここで「最小限度」の定義は何かが問題になる。

国会で野党が「曖昧だ」と追及するので、政府は次第に個別的自衛権が最小限度だという解釈を表明するようになった。これはベトナム戦争が激化する中で、日本は参戦しないという約束で、それを明文化したのが1972年の法制局見解である。

これは同じ年の沖縄返還とリンクしている。佐藤内閣は沖縄返還の条件としてアメリカのベトナム政策を支持する代わりに、日本が巻き込まれることを避けた。つまり「米軍機が沖縄から発進してベトナムを爆撃することを認めるが、自衛隊は爆撃に参加しない」という取引としてできたのが、72年見解なのだ。

いつまでもあると思うな日米同盟

ここでは国連憲章に明記されいている集団的自衛権は「保有しているが行使しない」という意味不明な表現になったが、これれはすり替えだ。最小限度かどうかということと個別か集団かということは別の問題で、個別で最小限度を超える場合もあれば、集団で最小限度に収まる場合もある。

そのうち話が逆になって、PKO法案は集団的自衛権だから違憲だという本末転倒の法解釈が横行するようになった。ここでは「集団安全保障」との違いが問題になるが、これは国連軍による世界の警察という理想論であり、それでは現実に対応できないので、国連憲章に集団的自衛権が明記されているのだ。

この状況を変えようとしたのが、2014年に発表された安保法制懇談会だった。そこでは「なぜ必要最小限の防衛力が個別的自衛権に限られるのか」という当然の疑問を呈し、集団的自衛権の行使を認めるべきだという提言を出したが、公明党が反対したため安倍首相は「集団的自衛権」を法案に明記せず、72年見解を踏襲した。

こうした論争の中で、日本の防衛のために何が必要かは問題にならず、ひたすら憲法解釈として正しいかどうかだけが議論されてきた。憲法学者の暗黙の前提には「いくらだだをこねても日米同盟がある限り安全だ」というただ乗りの心理があるが、いつまでも日米同盟があるとは限らない。それはとっくに当初の使命を終えているからだ。