このツイートが意外に大きな反響を呼んでいる。長谷部恭男氏は憲法学者であって国際政治学者ではないのだから、これは専門分野についての事実を言っているだけだが、これを「長谷部氏は無知だ」という個人攻撃と受け取って、突っかかってくる連中がいる。彼らの引用する長谷部氏の記者会見が興味深い。
我が国を取り巻く安全保障環境が本当により厳しく深刻な方向に変化しているならば、限られた我が国の防衛資源を地球全体に拡散するのは愚の骨頂だ。サッカーに例えれば、自分のゴールが危険なのに味方の選手を相手側のフィールドに拡散させるものだ。
このサッカーの例えは逆である。安保法は防衛力を「地球全体に拡散する」ものではない。サッカーでいえば、自分のゴールが危険だからといって、全員がゴールキーパーのまわりに集まってもゲームには勝てない。相手のフィールドでボールを止め、攻めてきたら反撃する必要がある。それがイージス艦や対潜哨戒機の役割だ。

彼は政府の説明が「極めて抽象的なものにとどまっており、説得力ある根拠がない」と批判するが、それは本当のことをいえないからだ。もし安倍首相が国会で「限られた我が国の防衛資源を中国と朝鮮半島への警戒に集中する」と答弁したら、どうなるだろうか。長谷部氏がそれもわからないのだとすれば、「安全保障に無知」といわれてもしょうがない。
本末転倒の安保論議

安保法制は北朝鮮や台湾の有事を想定したものだが、そんなことを政府が公言したら、中国を刺激して大変なことになる。それが「極めて抽象的なものにとどまる」原因だが、長谷部氏には、その程度の常識もないらしい。このように安保反対の運動に素人しか出てこないのは、これに反対する国際政治学者がいないからだろう。

長谷部氏は、自分が憲法学事典の「戦争権限」の項を書いたから戦争の専門家だと思っているようだが、法律は規範であり、国際情勢は事実である。両者が食い違うときは、前者を後者に合わせるべきであって、その逆ではない。規範によって事実を変えることはできないからだ。

たとえば法律で自動車の制限速度を時速10kmと決めても、10kmで走る人はほとんどいないだろう。そういう規範を守らせようと思ったら、10km以上で走る車を処罰する警察機能が必要だ。国内ではそういうことも(莫大なコストをかければ)可能だが、国際法にはそういう強制力がない。中国は南シナ海についての裁判で、仲裁裁判所の判決を公然と無視した。

憲法は単なる原則であり、その専門家が最近の国際情勢にくわしいことを意味しない。日米の「武力一体化」が憲法に違反しているなら、憲法を改正すべきだ。法制局の見解で実質的に改正できるなら、それも一つの手段だ。長谷部氏は自衛隊については法制局見解でOKだというのに、集団的自衛権についての法制局見解が憲法違反になるというのはご都合主義だ。

今の安保法のように細かいポジティブリストでがんじがらめにしていると、いざ有事のとき、現場では即応できない。安全保障の議論で、まず憲法が出てくるのは本末転倒だ。目的は憲法を守ることではなく、国民の安全を守ることだ。このままでは、有事となったときも「シンゴジラ」のように憲法論争をしているのではないか。