
従来の解釈は、国が当然に持つとされる個別的自衛権を根拠にして、自衛隊は9条で定めた『戦力』ではない『自衛力』だ、という新手の論理構成を持ち込むことで一応の筋を通していました。まずクーデター(coup d'Etat)とは、『広辞苑』によれば「急激な非合法的手段に訴えて政権を奪うこと」である。安保法制は、与党が多数を占める国会で可決された。このどこが非合法的手段なのか。「法学的」には、国会の議決を非合法とする学説があるのか。
「同盟」の別名と言ってよい「集団的自衛権」を日本は行使できない、という立場は、現行の憲法の枠内で論理的に許容される“最後の一線”です。正式な憲法改正手続きをとらずに9条に関する解釈の変更という形で、憲法の論理的限界を突き破った閣議決定は、法学的にみれば上からの革命であり、まさしくクーデターなのです。
従来の法制局見解が自衛隊を「戦力」ではないという「新手の論理構成」で解釈改憲をやってきたのは筋が通っているのに、集団的自衛権の行使を認める解釈はなぜ「最後の一線」を超えるのか。その一線は、石川氏が勝手に引いたのではないか。
彼のような精神的幼児が東大教授になるのは、法学部には学問的業績の競争がなく、自分と同じ政治的見解の弟子を後継者にする徒弟制度が根強く残っているからだ。その教祖は社会主義者だった芦部信喜であり、その後任も「護憲論者」であることが条件だった。しかし石川氏の世代になると、憲法第9条を絶対化する法学者は、井上達夫氏のいう「憲法学カルト」の信者だけになり、まともな法学者は憲法学を専攻しない逆淘汰が起ったのだ。
彼の話を聞いていると、思い込みが強く、相手が何を質問しても同じ話を繰り返すのが特徴だ。話が論理でつながっていないので「**先生はこういっていた」という類の引用がやたらに出てくる。自分の言葉で説明できないからだ。頭は悪いが師匠への忠誠心だけで出世した、学者サラリーマンである。
日本の法学部は「法解釈学部」で、立法論を語る論理がない。憲法の文言と現実がこれほど大きく乖離したら、立法的にどうやってその距離を縮めるかを議論すべきなのに、彼らにとっては実定法が所与だから、解釈論しか論じることができない。そしてそういうカルト信者しか憲法学者にならないので、ますますカルト化する悪循環になるのだ。
彼の話を聞いていると、思い込みが強く、相手が何を質問しても同じ話を繰り返すのが特徴だ。話が論理でつながっていないので「**先生はこういっていた」という類の引用がやたらに出てくる。自分の言葉で説明できないからだ。頭は悪いが師匠への忠誠心だけで出世した、学者サラリーマンである。
日本の法学部は「法解釈学部」で、立法論を語る論理がない。憲法の文言と現実がこれほど大きく乖離したら、立法的にどうやってその距離を縮めるかを議論すべきなのに、彼らにとっては実定法が所与だから、解釈論しか論じることができない。そしてそういうカルト信者しか憲法学者にならないので、ますますカルト化する悪循環になるのだ。