本書は、三島由紀夫の自殺から始まっている。その遺書となった「檄」は狂気によって書かれた文ではなく、理路整然としている。彼が特に問題にするのは、「平和憲法」の欺瞞だ(原文のまま)。
ベンダサン(山本七平)は、三島が命がけで指摘したこの欺瞞は、戦後始まったものではないという。自衛隊が軍でありながら戦力でないように、君主でありながら君臨しない天皇も、シニフィエなきシニフィアンとしての空体語であり、日本人は昔から空体語と実体語(普通の言葉)を使いわけてきたのだ。
特に山本が『現人神の創作者たち』で主題にした浅見絅斎や山県大弐は、天皇こそ唯一の君主であり、将軍はその地位を簒奪するものだと考えた。これは水戸学にも継承されて尊王攘夷の思想になったが、尊王はともかく攘夷は不可能で、これも明治維新の過程で空体語になってしまった。
山本は平和憲法も同じような運命をたどっていると考え、「軍備撤廃を主張している政党もありますが、もしこの政党が政権をとったら、攘夷論者が政権をとったときと同じことが起ります」と予言している。彼のいう通り、1994年に政権をとった社会党は、自衛隊も安保も認め、「非武装中立」が空体語であることを認めてしまった。
これで憲法をめぐる不毛な論争が終わるかと思ったら、今度は「自衛隊は合憲だが集団的自衛権の行使は違憲だ」という、さらにわけのわからない空体語が出てきた。実体語しか認めないユダヤ教や尊王攘夷は、指導者のもとに意思決定を一元化する戦争の思想だが、精神的な権威を空体語として権力と分離する二重構造は、戦争を避けて仲よくする思想である。
それは丸山眞男が「まつりごと」の構造として日本の伝統と考えた、独裁者を排除してボトムアップで意思決定を行なう思想とも通じる。このように多くの「家」がゆるやかに連合して国家をつくり、そのうちどの「家」にも全体を支配させない構造は、戦争や災害のような緊急事態には整合的な意思決定をさまたげ、混乱をもたらすのだ。
法理論的には、自衞隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衞が、御都合主義の法的解釋によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來てゐる。このように軍が「自衛隊」という空体語で「戦力ではない」とされている状態では、国民を防衛する任務が果たせない。憲法を改正して、軍を国家のコントロールのもとに置くべきだ――という三島の主張は正論だ。少なくとも「自衛隊は戦力ではないが集団的自衛権を行使したら戦力になる」などという憲法学者の詭弁より、はるかに論理的である。
われわれは戰後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衞隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衞隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衞隊が建軍の本義に立ち、眞の國軍となる日のために、國民として微力の限りを盡すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
ベンダサン(山本七平)は、三島が命がけで指摘したこの欺瞞は、戦後始まったものではないという。自衛隊が軍でありながら戦力でないように、君主でありながら君臨しない天皇も、シニフィエなきシニフィアンとしての空体語であり、日本人は昔から空体語と実体語(普通の言葉)を使いわけてきたのだ。
意思決定を混乱させる二重構造
このような構造は、ユダヤ教に代表される一神教とは逆である。そこでは神こそ唯一の実体で人間はその被造物だが、「日本教」では空体語としての天皇が人間の被造物で、権力の実体は摂政・関白や将軍にある。この奇妙な二重構造は近世以降、儒学の影響を受けた知識人には耐えられない欺瞞と映った。特に山本が『現人神の創作者たち』で主題にした浅見絅斎や山県大弐は、天皇こそ唯一の君主であり、将軍はその地位を簒奪するものだと考えた。これは水戸学にも継承されて尊王攘夷の思想になったが、尊王はともかく攘夷は不可能で、これも明治維新の過程で空体語になってしまった。
山本は平和憲法も同じような運命をたどっていると考え、「軍備撤廃を主張している政党もありますが、もしこの政党が政権をとったら、攘夷論者が政権をとったときと同じことが起ります」と予言している。彼のいう通り、1994年に政権をとった社会党は、自衛隊も安保も認め、「非武装中立」が空体語であることを認めてしまった。
これで憲法をめぐる不毛な論争が終わるかと思ったら、今度は「自衛隊は合憲だが集団的自衛権の行使は違憲だ」という、さらにわけのわからない空体語が出てきた。実体語しか認めないユダヤ教や尊王攘夷は、指導者のもとに意思決定を一元化する戦争の思想だが、精神的な権威を空体語として権力と分離する二重構造は、戦争を避けて仲よくする思想である。
それは丸山眞男が「まつりごと」の構造として日本の伝統と考えた、独裁者を排除してボトムアップで意思決定を行なう思想とも通じる。このように多くの「家」がゆるやかに連合して国家をつくり、そのうちどの「家」にも全体を支配させない構造は、戦争や災害のような緊急事態には整合的な意思決定をさまたげ、混乱をもたらすのだ。