殺戮の宗教史
宗教は、死と強く結びついている。それは死に意味を与え、死後の世界を語ると同時に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という(論理的には答えられない)問いに答を与える。それは同じ部族の中で、仲間を殺さないために共有する感情である。

しかし宗教は、殺人の武器でもある。石器時代から人間は戦争を続けてきた。多くの部族が対立抗争を続けるとき、そのもっとも単純な解決策は、一つの部族が他の部族をすべて征服し、支配することだ。こうして成り立った部族を超える大集団を支える感情は、親族関係や地縁に依存しない普遍宗教でなければならない。

キリスト教もイスラム教も、このように古代社会で部族対立を克服する普遍主義として生まれたので、異教徒に対する不寛容を特徴とする。コーランには「多神教徒を殺せ」と書かれ、カトリック教会は異端を弾圧し、プロテスタントとの宗教戦争は数百年も続いた。

殺人の規模でいえば、イスラム教よりキリスト教のほうがはるかに大きいが、さすがに20世紀に入ってキリスト教の世界では、信教の自由を認める寛容が原則になった。しかし21世紀になって、イスラム教が異教徒に対して「ジハード」を挑み始めた。これは500年前にキリスト教がやった宗教戦争と本質的には変わらないが、同じような「世界戦争」をもたらすのだろうか。

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