革命的な、あまりに革命的な―「1968年の革命」史論
60年代後半に世界的に昂揚した学生反乱は、政治運動としては挫折したが、文化的には多くの創造的な作品を生み出した。本書もウォーラーステインに依拠して「1968年はアメリカ中心の世界秩序の終わりだった」という。

対抗文化(counter-culture)は、そういう政治運動の中で生まれた。既存の社会秩序を全面的に否定する運動は、革新的な思想や芸術を生み出す。それは第1次大戦後、帝政が倒れたロシアやドイツで、カンディンスキーやシェーンベルクやハイデガーが生まれたのと同じだ。

日本の60年代が生んだ最高の思想的成果は廣松渉の哲学だった、と本書は評価する。その緻密なマルクス文献学に支えられた「共同主観性」の哲学や疎外論批判は、同時代のアルチュセールをはるかにしのぐ水準だった。また岩田弘は、ウォーラーステインと独立に、独自の「世界資本主義」論を提唱した。

しかしこうした日本の対抗文化は、その後あまり継承されず、学生運動の沈静化とともに、時代はポストモダンに移ってゆく。それは「ニューアカデミズム」などと呼ばれたが、中身はフランス現代思想のコピーにすぎず、それを自覚した浅田彰は沈黙してしまった。
芸術は開花したが思想は不毛だった

ただ芸術の面では、日本でも対抗文化は花開いた。映画ではATG(アートシアター・ギルド)に代表される「前衛」的な作品がつくられ、大島渚の「少年」や岡本喜八の「肉弾」や篠田正浩の「心中天網島」などの映画が自主製作でつくられ、高い評価を得た。

演劇でも、唐十郎や清水邦生や鈴木忠志などの小劇場運動が生まれ、裸体にボディ・ペインティングするなどの奇抜な演出が行なわれた。音楽は最初は反戦フォークソングだったが、そのうち、はっぴいえんどなどの日本語のロックが出て、その後の若者文化の主流になった。

思想的にも、60年代のマルクス主義がフランクフルト学派の影響を受けた「疎外革命論」だったのに対して、「本質が疎外される」というヘーゲル的な本質主義を否定する「言語論的転回」が、このころから多くの人々に影響を与えるようになった。廣松の疎外論批判や山口昌男の紹介した記号論がポストモダンへとつながっていった。

フランスの「5月革命」に刺激されて生まれたドゥルーズ=ガタリの「脱領土化」や「戦争機械」という言葉が流行し、すべての本質を否定して世界をエクリチュール(記号)の戯れに還元するデリダのニヒリズムが思想的ファッションになった。

しかしこうしたポストモダンは革命や前衛などの概念も否定し、政治的活動からは撤退した。そして1989年から連鎖的に始まった社会主義国の政権崩壊は、ある意味では60年ブントが批判したスターリニズムが最終的に破綻したことを示していた。その意味で、これは思想的には新しい出来事ではなかった。

90年代以降の日本は、ある意味でポストモダンを体現したような「失われた25年」を過ごしている。経済は停滞し、自民党への挑戦者はすべて敗れ、老人が若者の所得を収奪する。今ごろ柄谷行人が「憲法第9条を守れ」などと語っているのは、かつて全共闘が否定した戦後民主主義以前への退行だ。

本書のおもしろい指摘は、戦後民主主義と高度成長は、戦時体制から続く総動員体制の延長上にあったということだ。かつて実質的な主権者だった軍部が戦後はGHQになり、アメリカの軍事的・経済的援助のもとで実現された高度成長と福祉国家は、国家が経済を支配するニューディール的リベラリズムの産物だ。

あらゆる価値を否定したかのようにみえるポストモダンも、リベラルな福祉国家に回収され、戦後民主主義に戻ろうとしている。それをマンガ的な形で示したのが、全共闘OBのつくった民主党政権である。対抗文化もポストモダンも、日本ではあの程度だったのだ。