太平洋戦争の開戦を決定した1941年11月の重臣会議で、米内光政(元海軍大臣)は「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬようご注意願いたい」と慎重論をのべたが、東条内閣はドカ貧の道を選んでしまった。

デフレのジリ貧を避けようとした黒田総裁のマイナス金利という「真珠湾攻撃」は、予想外の円高・株安をもたらし、マーケットは大混乱になった。これで2%のインフレ目標は不可能になったが、高金利と国債の暴落でハイパーインフレというドカ貧のリスクは小さくなった。

しかし10年物国債の金利が一時はマイナスになるなど、むしろジリ貧になってきた。これは20世紀後半のイギリスがやった金融抑圧と同じで、「名目金利<インフレ率」を続ければ、ゆるやかに政府債務を踏み倒せる。ピケティもいうように、これが日本に可能な唯一の債務削減策かもしれないが、日本経済がイギリスのように「安楽死」する道でもある。

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