崩壊 朝日新聞 (WAC BUNKO 278)
本書は朝日新聞の元大記者が、昨年の「8月5日」の慰安婦問題をめぐる偽善的な記事に衝撃を受けて朝日の嘱託ライターを辞め、1年かけてその背景を調査したドキュメントである。北畠清泰論説委員が吉田清治に虚偽証言を強要した現場を目撃し、松井やよりなどが「慰安婦問題」を捏造した経緯をくわしく書いている。

それより驚くのは、こうした朝日の報道の背景に「日本を共産化しようという社の方針があった」という話だ。これはよくある陰謀史観ではなく、具体的な1次情報で裏づけられている。特に注目されるのは、ゾルゲ事件に連座して死刑になった朝日の記者、尾崎秀実が検事調書で次のように供述したことだ。
世界資本主義に代る共産主義的新秩序は必ず来るものと確信したのであります。帝国主義国家の自己否定に終る如き極度の消耗戦、[支那]国内の新興階級[中国共産党]の抗戦を通じての勢力拡大、被抑圧民族国家群の解放、ソ連の地位の増大等は正に其の要因であります。(p.189)
このような意図から、彼は朝日の田中慎次郎政治経済部長から得た「日本軍は南進する」という情報をゾルゲに伝え、これによってスターリンは戦力を対独戦に集中して勝利を収めた。それと同時に近衛文麿の顧問だった彼は、ドイツの和平工作(トラウトマン工作)を妨害し、蒋介石と徹底的に戦うよう近衛に進言した。その目的は両者が戦争で消耗し、中国共産党が漁夫の利を得るためだった。

尾崎の助言どおり、近衛は参謀本部の反対を押し切って「爾後国民政府を対手とせず」という近衛声明を出し、日本は日中戦争の泥沼に突入した。さらに尾崎は中国共産党に日本軍の作戦を通報する一方、近衛には戦線を南方に拡大するよう進言し、その情報をゾルゲを通じてソ連に伝えたのだ。彼の情勢判断は、驚くほど正確だった。
私の立場から言えば日本なり独逸なりが簡単に崩れ去って英米の全勝に終るのでは甚だ好ましくないのであります。[…]日本は社会体制の転換を以てソ連、支那と結び別の角度から英米へ抵抗するの姿勢を採るべきであると考えました。此の意味に於て日本は戦争の始から米英に抑圧せられつつある南方諸民族の解放をスローガンとして進むことは大いに意味があると考えた(p.190)
普通に戦争すると、日本は英米に簡単に負けて降伏するだろう。それではだめで「南方諸民族」を巻き込んだ「大東亜戦争」をやって壊滅し、日本を含む東アジア全体を共産化することが尾崎の目的だった。
朝日は陸軍の情報を漏洩し、日中戦争をけしかけた

戦争は革命のチャンスである。尾崎は単なるスパイではなく、近衛の側近として日本を徹底的に破壊し、戦争を革命に転化するレーニンの革命的敗北主義を実現しようとしたのだ。それは彼の個人プレーではなく、朝日の組織を動員した工作だった。

ゾルゲ事件では田中政経部長やその部下の磯野清も逮捕され、この責任を問われて緒方竹虎も主筆を解任された。特に緒方は入社後10年余りの尾崎を中国に派遣し、近衛にも紹介して中国問題についての顧問にするなど異例の待遇をしている。

しかし田中も磯野も釈放され、彼らの情報源は法廷で明らかにされなかった。それは磯野が陸軍省担当だったことで明らかなように、陸軍省の内部に情報を漏洩した幹部がいたためと思われる。参謀本部が不拡大論だったのに対して、陸軍省は対中強硬派だった。彼らが尾崎を利用した可能性もある。

尾崎は1938年6月号の『中央公論』に「長期戦下の諸問題」という対中強硬論を書き、国民政府は壊滅寸前だから徹底的に撃破すべきだという論陣を張った。このとき彼はまだ朝日の記者であり、緒方などの幹部もこれを読んだはずだが、社内では問題になっていない。

このように公然と展開された尾崎(近衛の中国問題顧問)の対中強硬論が、近衛に影響を与えたことは十分考えられる。この国論を二分する大問題について、朝日新聞はまったく論評せず、トラウトマン調停についても一度も報じていないが、近衛声明は全面的に支持し、戦争推進論の先頭に立った。

このときの主筆は緒方である。彼が尾崎をソ連のスパイと知っていたとは思えないが、大政翼賛会の幹部だった彼が尾崎を利用して近衛に強硬論を吹き込んだ疑いもある。朝日新聞の役割は、単に戦意昂揚記事を書いただけではない。このへんの経緯についてはまだ謎が残っているので、長谷川氏の続報を期待したい。