仏教はゴータマ・ブッダという人物の教えをもとにした宗教だという理解が一般的だが、著者もいうように「ブッダ」というのは古代インドでは普通名詞で、複数形でも使われている。「キリスト」という個人が実在しなかったのと同じく、「ブッダ」という個人が実在したわけではない。
イエスは実在の人物と推定されている(最近はそれもあやしい)が、ゴータマという王子がいたかどうかは疑問で、著者は実在しなかったという立場をとる。そういう名前の人物はいたと思われるが、彼が一人で『スッタニパータ』に代表される「原始仏教」をつくったとは考えられない。
この点で、本質的な問題は「原始キリスト教」と似ている。イエスと呼ばれる預言者はいたが、彼の言葉として福音書などが伝える話の大部分は、それ以前からユダヤ教の預言者の言葉として伝わっていたものだ。「神の国」や「贖罪」などはイエスの言葉ではなく、キリスト教のコアはむしろパウロ主義と呼んだほうがいい。
同様に「原始仏教」を定義することにも大した意味はなく、そもそもBuddhismという名前は西洋の宗教学がつけたものだ。仏教は西洋的な意味での宗教ではなく、バラモン教からわかれた雑多な宗派の総称と考えたほうがいい。「神仏習合」も日本に特有の現象ではなく、すべての信仰はいろいろな宗派の習合したものだ。
続きは9月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
イエスは実在の人物と推定されている(最近はそれもあやしい)が、ゴータマという王子がいたかどうかは疑問で、著者は実在しなかったという立場をとる。そういう名前の人物はいたと思われるが、彼が一人で『スッタニパータ』に代表される「原始仏教」をつくったとは考えられない。
この点で、本質的な問題は「原始キリスト教」と似ている。イエスと呼ばれる預言者はいたが、彼の言葉として福音書などが伝える話の大部分は、それ以前からユダヤ教の預言者の言葉として伝わっていたものだ。「神の国」や「贖罪」などはイエスの言葉ではなく、キリスト教のコアはむしろパウロ主義と呼んだほうがいい。
同様に「原始仏教」を定義することにも大した意味はなく、そもそもBuddhismという名前は西洋の宗教学がつけたものだ。仏教は西洋的な意味での宗教ではなく、バラモン教からわかれた雑多な宗派の総称と考えたほうがいい。「神仏習合」も日本に特有の現象ではなく、すべての信仰はいろいろな宗派の習合したものだ。
続きは9月15日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)



