仏教はゴータマ・ブッダという人物の教えをもとにした宗教だという理解が一般的だが、著者もいうように「ブッダ」というのは古代インドでは普通名詞として使われており、「キリスト」という個人が実在しなかったのと同じく、「ブッダ」という個人が実在したわけではない。
ただし「イエス」は歴史上の人物として確認されているが、「ゴータマ」が実在したかどうかは微妙だ。著者は実在しなかったという立場をとるが、そういう名前の人物はいた可能性がある。ただし彼が『スッタニパータ』に代表される「原始仏教」をつくったかどうかは疑問だ。
この点で、本質的な問題は「原始キリスト教」と似ている。イエスは実在したが、彼の言葉として福音書などが伝える話が、どこまで彼の言葉かは、はっきりしない。「神の国」や「贖罪」などはイエスの言葉ではなく、キリスト教のコアはむしろパウロ主義と呼んだほうがいい。
同様に「原始仏教」を定義することにも大した意味はなく、そもそもBuddhismという言葉は西洋の宗教学がつくったものだ。仏教は西洋的な意味での宗教ではなく、バラモン教からわかれた雑多な宗派の総称と考えたほうがいい。そう考えると「神仏習合」というのも日本に特有の現象ではなく、すべての信仰はいろいろな宗派の習合したものともいえよう。
続きは11月16日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンでどうぞ。
ただし「イエス」は歴史上の人物として確認されているが、「ゴータマ」が実在したかどうかは微妙だ。著者は実在しなかったという立場をとるが、そういう名前の人物はいた可能性がある。ただし彼が『スッタニパータ』に代表される「原始仏教」をつくったかどうかは疑問だ。
この点で、本質的な問題は「原始キリスト教」と似ている。イエスは実在したが、彼の言葉として福音書などが伝える話が、どこまで彼の言葉かは、はっきりしない。「神の国」や「贖罪」などはイエスの言葉ではなく、キリスト教のコアはむしろパウロ主義と呼んだほうがいい。
同様に「原始仏教」を定義することにも大した意味はなく、そもそもBuddhismという言葉は西洋の宗教学がつくったものだ。仏教は西洋的な意味での宗教ではなく、バラモン教からわかれた雑多な宗派の総称と考えたほうがいい。そう考えると「神仏習合」というのも日本に特有の現象ではなく、すべての信仰はいろいろな宗派の習合したものともいえよう。
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