聞き書 南原繁回顧録
支離滅裂な一国平和主義を得々と語る木村草太氏や、彼に同調している国分功一郎氏をみると、彼らのような団塊ジュニアには団塊の世代の平和ボケが遺伝したんだと思う。

私の世代は極左の内ゲバや連合赤軍を身近に見て、左翼がいかにおぞましいものかを知ったが、90年代以降に大学生活を過ごした世代は、その時代を美しい青春物語として聞かされ、朝日新聞を読んで日教組の「平和教育」の優等生として大人になったのだろう。

彼らも「復初の説」で、憲法の生まれたときに立ち返って、その精神を学んだほうがいい。この点で、憲法制定議会で野坂参三と並んで2人だけ第9条に反対した南原繁の証言は貴重だ。彼は当時をこう回想している。
戦争放棄はもちろん当然なさるべきことですけれども、一兵ももたない完全な武装放棄ということは日本が本当に考えたことか、ということを私は質問したわけです。つまり私の考えでは、国家としては自衛権をもたなければならない。ことに国際連合に入った場合のことを考えるならば、加入国の義務として必ずある程度の武力を寄与する義務が将来、生じるのではないか(p.350)。
つまり南原は一国平和主義をとなえたのではなく、国連中心主義の立場で第9条に反対したのだ。したがって彼は、吉田茂がなし崩しに進めた再軍備には、強硬に反対した。それには憲法の改正が不可欠だと考えたからだ。

南原が理想としたのは、カントの提唱した常備軍の廃止だった。彼はその代わり、国際機関による警察機能を考えた。将来も戦争が起こることは変わらないが、今のような主権国家の枠組ではなく、それを超える国連の警察機能で国際秩序を守ろうと考えたのだ。

もちろんこれは実現するかどうかわからない理想だが、憲法第9条はカントのいった常備軍の廃止を期せずして実現した。それは必ずしも南原の望んだ規定ではなかったが、できた以上はなし崩しにそれを空文化するのではなく、逆にこの思想を世界に広め、国連軍の機能を強化すべきだと考えたのだ。

このよう集団的自衛権を中心とする考え方は、丸山眞男にも受け継がれた。彼は1990年の座談会で、「憲法解釈論としては自衛隊は違憲です」と言ったあと、次のように語っている。
「集団的自衛権」という言葉は、断固否定すべきだということです。国際連盟も国際連合も、安全保障というのは一般的安全保障なんです。地域的安全保障というのは軍事同盟の別名なんです。[…]コレクティブ・セキュリティというのは一般的安全保障で、今の言葉で言えばグローバルな安全保障、世界の安全保障ということで、特定地域の安全保障をするということではないんです(『話文集』続3、pp.283-4)。
彼は「集団安全保障」という言葉は使っていないが、軍事同盟と区別される「世界の警察」として国連軍を考え、日本は第9条を掲げて「世界でもっとも進んだインターナショナリズム」になれという。この点では当時「国連中心主義」による「国際貢献」を語っていた小沢一郎と近いが、どちらも現実的ではない。

憲法を変えないことを前提にするかぎり、意味のある防衛論はカント的な「世界連邦」しかないのだ。それは南原から丸山まで受け継がれた理想ではあるが、事務総長が習近平の軍事パレードに出席するまで劣化した国連では、永遠に望みえないだろう。