ドイツ観念論 カント・フィヒテ・シェリング・ヘーゲル (講談社選書メチエ)
オリンピックの醜悪な開会式を見て、フランス人がいまだに革命の神話を素朴に信じているのに驚いた。あれは客観的にみると、イギリスがその100年前に平和的に実現した立憲君主制の設立に失敗した内戦で、あんな膨大な犠牲は必要なかった。

しかし全欧で500万人を犠牲にしたナポレオン戦争で神聖ローマ帝国が破壊され、人々は教会の抑圧から解き放たれて自由な学問が生まれた。それが啓蒙思想である。それは神なしで数学的秩序で世界を記述する合理主義であり、神の啓示(enlightenment)は理性による啓蒙に置き換わった。

神の代わりに人間を世界の中心にすえる啓蒙思想は、ロックやヒュームに始まってルソーのフランス革命の思想となったが、これは哲学的には幼稚なものだった。その影響を受けてカントは、フランス革命前夜の1781年に『純粋理性批判』を出した。

そこでカントが批判した「形而上学」とは神学のことであり、彼は神を否定して人間の認識が世界を作り出すという「コペルニクス的転回」を実現した。フィヒテやシェリングの著作が出たのはドイツがフランス軍に占領された時期だったが、彼らも人間中心主義を主張した。

ヘーゲルは若いころスミスの「市民社会」にあこがれた。その矛盾を国家が解決する『法哲学』が出たのはナポレオン戦争の終わる1812年である。彼らの哲学を「ドイツ観念論」と総称するのは後世の呼び名で、ヘーゲル哲学はフランス革命の哲学だったのだ。

ヘーゲル哲学は戦争と革命から生まれた

カントの『純粋理性批判』は、ある意味ではスコラ神学の完成だった。世界の秩序を一つの原理から説明する点でニュートン力学は神学よりはるかに完璧であり、カントの目的はその理由を説明することだった。彼は神の摂理の代わりに時間・空間などの先験的カテゴリーを想定し、直接認識できない「物自体」を人間がカテゴライズして認識すると論じた。

しかしフィヒテは「物自体」は不可知論だと批判し、物自体を否定して自由な<私>に認識の根拠を求める主観的観念論を主張した。これは独我論に近いが、フィヒテの場合は主体は個人ではなくドイツ民族で、フランス占領下のドイツ人に『ドイツ国民に告ぐ』で民族としての自覚を求めた。

シェリングはフィヒテとは逆に、歴史を<自然>がみずからを外化する運動と考え、その運動を自覚することが認識だと考えた。この場合は各個人で解釈が異なるが、それが自然科学で同一なのは、自然に内在する同型性が原因だとする客観的観念論をとなえた。これは最近の新しい実在論でも注目されている。

ヘーゲルはこのように主観と客観が分裂している状態を総合する「弁証法」という便利な言葉でカント以来の論争を終結させ、ドイツ観念論を完成させた。彼があの超難解な『精神現象学』を書いたのは、フランス軍がドイツを占領した時期だった。ナポレオンがドイツの封建的秩序を破壊する歴史に、彼は理性の勝利をみたのだ。

啓蒙思想はキリスト教の代用品

この時期にドイツの普遍的な思想・芸術が生まれたのは、内戦を繰り返す多くの社団の中で、人々が頼るものが観念の中の普遍性しかなかったからだ。都市や大学(神学校)は自治権をもっていたので、人々は財産を捨てれば、こうした「アジール」に移動することができ、大学では学問的な論争も起こった。

このようなヨーロッパ的普遍主義は、植民地支配の中心地イギリスでニュートン力学として生まれ、フランスで大戦争を起こし、ドイツで思想的に完成した。啓蒙思想は民族も言語も文化もばらばらなヨーロッパ人を統一するためにつくられた、キリスト教の代用品である。

それは知識人の中では世界的に共有されているが、抽象的で大衆にはよくわからないので、ある時期には社会主義となり、ある時期には環境保護となり、ある時期にはポリコレとなり、偽善的レトリックで多くの人々を魅了する。

いま世界に吹き荒れているwokeは、啓蒙的な美辞麗句の最新版であり、わけのわからない脱炭素化も、終末論的なキリスト教の変種である。これはヨーロッパ人特有の信仰であり、アメリカ人の中でもヨーロッパ系は今や半分に満たないので、地球環境などというきれいごとには関心をもたない。日本人が無関心なのは当たり前だ。