
その後も私の実家が京都だったので、休みのたびによく京大の研究室におじゃました。そのときもらったKoopmansの教科書は、今でももっている。大学院に来ないかというお誘いも受けたが、無駄にテクニカルになる経済学の将来に展望が見出せなかったので辞退した(その1年下が浅田彰氏)。
再会したのは、サラリーマンをやめたあと慶応の大学院で書いた修士論文を送ったときだ。これを高く評価していただき、NTT出版から『情報通信革命と日本企業』として出版できた。これがきっかけで国際大学に就職し、博士論文の副査にもなっていただいた。
その後は2001年に彼が経済産業研究所の所長になったとき上席研究員に招かれ、楽しかったが、当時の北畑官房長が青木先生の産業政策に対する批判的な姿勢をきらい、政治的に画策して彼を追放した。あれが小泉改革の終わりとほぼ重なっており、日本の短い改革の時代の終わりだったのかも知れない。
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