正義のゲーム理論的基礎 (叢書“制度を考える”)
安保国会で話題になった長谷部恭男氏のように、「安全保障のジレンマ」を誤解して国際政治を論じる法学者が多いのは困ったものだ。本書も第5章で説明しているように、Tit-For-Tatは完全情報の2人ゲームが無限に続くときに限ってナッシュ均衡になる特殊な戦略にすぎず、同様の戦略は無限にある。

著者はこの分野の第一人者で、本書は大著"Game Theory and the Social Contract"を一般向けにコンパクトに書き直したものだ…といってもゲーム理論を知らない人にはおすすめできないが、学部程度のゲーム理論を理解した学生にはおもしろいと思う。

本書の結論はロールズの格差原理に近いが、彼とは違って「公正な分配」が社会的効用の最大化をもたらす、という功利主義をゲーム理論で証明しようとするものだ。その論理は簡単にいうと、複数均衡の存在する状態でどれを選ぶかという均衡選択の基準として「正義」があるということだが、厳密に証明するのは大変だ。
複数均衡での社会的選択

複数均衡というのは、図のように力学的ポテンシャルが最低の全体最適Aと、そうではない部分最適Bの二つの均衡で安定するような場合だ。直観的にはAに到達するアルゴリズムがありそうだが、ナッシュ的な推論では必ずしもAに到達しない。Bの近傍から出発した場合には、Bで安定してしまう。これが経路依存性である。

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実際には、全体最適しか均衡状態がないような「小さな社会」は例外で、無数の部分最適の中から全体最適をどうやって選ぶかが、社会的選択としては重要な問題だ。しかしこれはゲーム理論の最大の難問で、いまだに決定的な答がない。著者はこれを「公正」とか「正義」という感情で均衡選択を行なうと考える。

たとえば「まず自分がX%取り、相手に(100-X)%取るかどうかを選ばせる」という「最後通牒ゲーム」という実験がある。このナッシュ均衡は無限にあるが、もっとも「合理的」なのは、自分が99%以上とって相手に残りを与える均衡だ。相手はそれを拒否すると損する(取り分はゼロになる)ので、受け入れるしかない。

このゲームをGintisなどは多くの部族社会で実験したが、こうした「合理的」な均衡は選ばれず、多くの社会で50~60%程度(やや多め)に取る人が多い。この比率は部族によって違い、個人差が小さい。新古典派経済学の想定しているような合理的=利己的な個人は存在せず、多くの人は互酬性の原理で公正に分配して争いを避ける。

つまり経済学の考えるような紛争のない社会は特殊な設定で、紛争を最小化するために公正な分配が行なわれるのだ。こう考えると新古典派経済学も、財産権保護のコストをゼロと想定する「平和ボケ」の理論で、紛争コストを考えると「効率的な所得分配」というのも存在するのかも知れない。