きのうの朝日新聞の天声人語が、こう書いている。
安保関連法案に反対する大規模な抗議行動が始まった▼勝手に決めるな。それは、決めるのは私たち、主権者は私たちだという叫びである。投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる。▼哲学者の柄谷行人さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。
朝日新聞にとって主権者の意思を表明するのは選挙ではなく、デモらしい。柄谷氏のこの議論は彼のオリジナルではなく、カール・シュミットの『現代議会主義の精神史的状況』の引用である。そこでシュミットはこう書いている。
1億の私的な人々の一致した意見といえども、それは人民の意志でも世論でもない。人民の意志は、半世紀以上きわめて綿密に作り上げられた統計的な装置によってより、喝采によって、すなわち反論の余地を許さない自明のものによる方が、むしろいっそうよく民主的に表現されるのである


ここで「喝采」を「デモ」と入れ替えれば、柄谷氏の議論と同じである。そして上のような熱狂的な演説と喝采によって(シュミットの支持する)ナチは政権を取ったのだ。昔ファシズムの旗を振った朝日新聞がヒトラー的手法を推奨するのは不思議ではないが、ここには民主政治において「主権者」とは何か、というむずかしい問題がある。

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