私の保育バウチャーについての記事がNewsPicksで総合トップになって大論争を呼んでいるが、次の塾教師のコメントには考えさせされた。
近年の塾や学校のテキストはよくできていて、左上に重要、新出事項[たとえば現在完了]が載っていて、一通りその部分の説明や解説を受けた後、ページの残りで問題演習をする形になっています。そこで、最初に当たる問題はただ単に空欄にhaveや動詞の過去分詞形を入れれば解けるようになっています。

しかし、ついさっき現在完了の説明を受けたにも関わらず、手が止まってしまう子がたくさんいます。授業のやり方になれて「最初の問題は習ったことを適当に書けば当たるじゃん」と考えるようにはなぜならないのでしょうか。このように考える子と、そうでない子との間にはなにがあるのだろうか、ということがずっと疑問でした。
これが「できる子」と「できない子」の本質的な差だと思う。昔、国語の先生が「答を選ぶときは何が正しいかを考えるな。出題者がどう答えてほしいかを考えろ」といっていた。そうやって日教組の先生に迎合できる子が東大に入り、役所やマスコミに入る。彼らのコア・スキルは「何が正しいか」を考える能力ではなく、まわりの「リベラルな空気」を読んで適応する能力なのだ。

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