戦時戦後体制論
ナチと同様、日本の軍国主義も当初は、農村の青年に雇用を与えて格差を縮めるものとして歓迎された。軍需産業への巨額の投資によって重化学工業が発達し、近代化が進んだ。この総動員体制が戦後復興の基礎になったことも今日では常識だが、そこには断絶もあった。

戦時体制は大政翼賛会から東條内閣まで一直線で進んだような印象を受けるが、実際には翼賛会に反対する勢力は根強く、1942年の翼賛選挙でも、466議席のうち85議席は翼賛会非推薦だった。非推薦議員には鳩山一郎、三木武夫、河野一郎、尾崎行雄のような自由主義者もいたが、笹川良一や赤尾敏もいた。

戦後処理の主役は、1944年に東條内閣を倒した反東條派だったが、彼らはこのように自由主義派と反動勢力の連合体だった。そのうえ戦後に鳩山が公職追放されたため、首相になった「外様」の吉田茂は、マッカーサーの威を借りて対米追従でやらざるをえなかった。これが戦後処理の「ねじれ」をもたらし、今も憲法をめぐる不毛な論争の原因になっている。

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