アゴラに書いたように、現在の経済システムの起源は戦時体制にあるが、おもしろいのは戦後の占領でもそれが大きく変わらなかったことだ。この原因は、GHQが日本の官僚機構を温存して占領統治をやったことにある。官僚は「顕教」としての天皇制ファシズムを放棄するようにみせて、「密教」であるタコツボ構造を守ったのだ。

これは経済学でいうと、共通利益ゲームで最適解を求める問題と考えることができる。そのコアになるのは、進化ゲーム理論で証明された、事前にコミュニケーションのある共通利益ゲームには唯一の均衡が存在し、それは効率的であるという定理だ。これはナッシュの定理(均衡は存在するが唯一とは限らない)を超える重要な発見で、実際の社会でも(意図せずに)そういう解をみつけるシステムができた。

もっとも単純なのは、タコツボの中で頻繁に合言葉をかわして評判を共有するシステムだが、集団が大きくなると、タコツボを武力で補完して秩序を維持する封建制(feudalism)ができた。日本とヨーロッパは、ここまでは驚くほど似ているが、分岐するのは近世以降だ。
比較的平和だったイギリスでは、封建領主が新大陸に領土を拡大し、植民地支配によって資本主義をつくった。これに対してフロンティアのなかった大陸では領主どうしの内戦が続き、統一国家の形成が19世紀まで遅れた。

フランスでは絶対君主とカトリック教会が全土を支配したが、大革命によって崩壊した。その後も教会と共和主義者の内戦が続いたが、ようやく20世紀初頭に政教分離で和解した。ドイツでは領邦ごとに別の宗派が統治したが、その内戦はウェストファリア条約以降も続き、ビスマルクの時代に実質的にプロイセンが全土をルター派で統合した。

日本では、タコツボを地域・身分で分断する「江戸時代型」の封建社会が続いた。これは平和を維持する上ではすぐれていたが、人的資源の流動性がないため、経済発展は300年遅れた。19世紀末に気づいたときには彼我の差はあまりにも大きく、西洋のシステムを丸ごと輸入するしかなかった。

このとき福沢諭吉や大隈重信はイギリスの立憲政治を輸入しようとしたが、伊藤博文と井上毅が彼らを政権から追放し、プロイセン型の帝政を輸入した。これが憲政史上最大の失敗で、ドイツでさえ実質的な主権者は首相だったのに、明治憲法は内閣を削除して「ビスマルクなきドイツ帝国」をつくってしまったのだ。

このため不安定なタコツボの連合体をまとめる主権者が不在で、その空席をいろいろな「令外の官」が埋めた。最初は伊藤や山県有朋が「元老」として人事権を握ったが、山県が死去すると、その空席を埋める実力者がいなくなった。政党は主権者になる気がなく、大政翼賛会も挫折して、軍部が空席を乗っ取った。

こう考えると、明治の日本が封建制だという講座派マルクス主義は意外に正しいが、天皇は絶対君主ではないので、これは神聖ローマ帝国のようなゆるやかな封建制に近い。その欠陥は戦時体制でタコツボを統合しようとしたとき明白になったが、それは敗戦という形で劇的に破綻したので、何がおかしいのかわからず、封建制は官庁や企業のタコツボ構造に形を変えて生き残った。

ここでもっとも有効なメカニズムは、封建制と同じく「家」をモデルにした擬似親族集団である。この点で戦後の日本は明治より純化し、「古層」に封建制を残したまま、表層に政党政治やら民主主義やら法治国家やら身につかないファッションが輸入されては消えてゆく。神聖ローマ帝国で1000年ぐらい続いたので、内戦さえなければ意外に長持ちするかもしれない。