大東亜戦争肯定論 (中公文庫)
ポツダム宣言をめぐる国会論戦で驚いたのは、安倍首相がその得意分野であるはずのポツダム宣言について「つまびらかに承知していない」と答えたことだ。これは政治的に答えにくいということかもしれないが、本当に知らないと困るので、本書を読んで勉強してほしい。

初版は1964年で、タイトルだけ見るとトンデモ本のようだが、内容の水準は高い。解説で保阪正康氏もいうように「肯定論」として本書を抜くものはいまだにない。日米開戦は「ルーズベルトの罠」だったとか、パル判事の日本無罪論とか、おなじみの話が多いが、これは本書がオリジナルで、『正論』や『WiLL』に毎月出てくる話はほとんどここに書かれている。
1850年ごろ始まった「自衛戦争」

それより重要なのは、本書が一貫して東亜百年戦争という観点から、グローバル資本主義の中で1850年以降の日本近代史を整理していることだ。これは19世紀以降の帝国主義戦争の中で最後に残された日本が自衛するためには軍備増強が必要だったというスケールの大きな歴史観だ。結果的にそれが失敗だったことも認めているが、戦争は「勝てば官軍」。正義の戦争などというものはないという。

百年戦争の起点は、ペリー来航より7年前の弘化年間(1844~47)で、この時期に80件以上の外国船(オランダを除く)が記録されている。東京湾や琉球にはアメリカが、樺太にはロシアの軍艦が出没し、ペリー以降も薩英戦争や下関戦争が起こった。こうした軍事衝突を「宣戦布告なき戦争」と考えれば、1850年ごろから戦争は始まっていたわけだ。

幕末の「戦争」によって、徳川の太平の眠りをむさぼっていた武士の戦闘精神が覚醒し、尊王攘夷の運動が始まる。この起点も吉田松陰より前の水戸学と平田国学で、「日本」という国のまとまりを初めて意識し、その君主として天皇を想定した。

この意味で尊王攘夷は日本的ナショナリズムであり、西洋の典型的なナショナリズムとは違うが、「君主を中心にして国を守る」という主権国家に似たモデルだった。伊藤博文などの明治の元勲も、300の諸邦を統一して国家を建設したドイツに学んで、300の藩を統一して「列強」の帝国主義に対抗しようとしたのだ。

日清戦争については、金玉均が福沢諭吉に学んで朝鮮の近代化をはかり、それに失敗したことが悲劇の原因だった。この経緯を抜きにして福沢の「国権論」を批判するのは誤りだ。伊藤博文や井上毅などの首脳は、日露戦争まで一貫して非戦論だった。当時、非戦論をとなえた『万朝報』は弾圧されず、対露強硬論を主張した内田良平の本が発禁になった。

要するに、明治政府は戦力を知っているので戦争に消極的だったが、そういう実情を知らない右翼が強硬論を主張し、それにあおられて軍部の強硬派が勢いづいたのだ。この点で右翼そのものが政権をとった「ファシズム」とは違う――と林は丸山眞男を批判しているが、これは現在の歴史学の通説に近い。

ただこの百年戦争は、石原莞爾の考えたような一貫した計画で行なわれたものではなく、「やらないとやられる」という警戒心と、危機が迫ってから準備する敵前工作として場当たり的に拡大したものだ。満州事変の謀略をしかけた石原が排除されて永田鉄山が暗殺されてから、強硬派がコントロールできなくなった。

…など、本書の歴史記述は意外に客観的で、戦争を「聖戦」と「侵略」にわけるのは勝者の論理で、日本が従う必要はないというのも正論である。「進歩的文化人の加害妄想」を指摘している点は、まさにその通りだ。惜しまれるのはタイトルである。『東亜百年戦争』としておけば、この種の本の古典として残ったと思われる。