きのう収録した「そこまで言って委員会NP」では、クローズアップ現代の「やらせ」に話題が集中した。私は(かつてクロ現を担当した)関係者なのでくわしく説明したが、あすの放送では(放送時間の制約で)大幅にカットされると思う。この問題には誤解が多いので、整理しておきたい。長いので3回にわけ、2回目以降はリニューアルする有料メルマガ「池田信夫ブログマガジン」に掲載する(あすの初回はβ版なので無料)。
「やらせ」なしでドキュメンタリーはできない

問題の「追跡”出家詐欺”」をネットで見たが、これはやらせというより捏造の疑いがある。発端となった「ブローカー」だけではなく、相手の「多重債務者」も記者の8年来の知人で、過去に何度も別の番組で別の役を演じた「常連」だった。この多重債務者が偽物だとすると番組そのものが捏造だが、NHKの中間報告ではそこまでは認めていない。

コアになる「出家詐欺」という事実があったとしても、これはNHKも認めたように過剰演出だろう。しかしこれをやらせという言葉で、違法行為であるかのように批判するのは問題がある。この種の演出を厳格に排除すると、およそドキュメンタリー番組はつくれなくなってしまう。

そもそも、やらせという言葉はテレビ業界(少なくともNHK)では使わない。仕込みという。説明とインタビューだけでは番組が平板になるので、あらかじめ仕込んで人を集め、彼らが自然に行動しているように見せるのだ。今回のような単純な事件では、普通につくると企画ニュースで5分がせいぜいだから、30分のドキュメンタリーにするためには物語が必要なのだ。

私自身も、何度も仕込みをやったことがある。たとえば原発問題は、何も起こらないときは絵にならないので、反対運動のリーダーと仲よくなって、役所に抗議にいく予定などを教えてもらう。それがロケのスケジュールと合わないときは、合わせてもらって騒ぎを仕込むのだ。

有名な例では、NHKの歴史に残る名作「奇病のかげに」がある。これは1959年、まだ「公害」という言葉もなかった時代に、水俣で発生している奇病の原因が工場廃水に含まれる有機水銀ではないかと指摘したドキュメンタリーだが、上のタイトルバックで、震える手で水を飲んでいるのはPD(ディレクター)の小倉一郎である。

昔「新日本紀行」という長寿番組があったが、これにはインタビューがまったく出てこない。村の長老が話すときは、寄合の会話の中で村人どうしで話す。これはもちろんPDが仕込んでいるのだが、これをやらせと呼ぶとすると、「新日本紀行」は全部やらせ番組である。

ムスタンやらせ事件

紀行番組なら許されると思う人もいるかも知れないが、1993年2月に「ムスタンやらせ事件」というのが起こった。NHKスペシャル「禁断の王国・ムスタン」という番組の一部が「やらせ」であると朝日新聞が1面で報じたのだ。

ムスタンというのは独立王国ではなく、ネパールの奥地にある小さな村なのだが、世界で初めて撮影したという触れ込みで、いろいろな仕込みをやった。普通の道にアシスタントを使って上から岩を落とさせ、「取材陣は危険な岩の落ちてくる道を歩いて現地に入った」とナレーションをつけたり、スタッフが高山病で苦しむ演技をさせたりした。

いま思えば大した話ではないのだが、当時は民放がひどい捏造をやって「やらせ」という言葉が使われ始めたころだったので、朝日新聞が「NHKまでやらせをやっていた」という扱いで連日この問題を大きく取り上げ、あらゆるメディアがNHKに殺到した。

このとき私は、ちょうど3月の「放送記念日特集」を担当していた。これは年に1度、NHKが放送をテーマにする番組で、その年は「NHKの研究」というテーマで、評論家とか芸能人にNHKを取材させる企画を考えていたのだが、そこにこの事件が降ってきた。

私が会議で「こんなおもしろいネタはない。事件の真相を取材して、演出はどの程度まで許されるかを考えよう」と提案した。放送記念日特集というのは全社的な特別番組なので、会議に出席していた中で一般職はPDの私だけで、他は社内各部門の部長級以上だったが、会議室は静まり返ってだれも答えない。

これでOKになったと思っていたら、後から報道局の編集主幹(次長級)に呼ばれて「だめだ」という。「なぜだめなんですか。これが他の会社の事件だったら、NHKも取材するでしょう」と私がきくと、彼は「とにかくだめだ。これは会長室マターで、私にも判断できない」。
 
その後、1週間ほど各部の幹部と協議したが、最終的に私の提案は却下され、私は番組を降りた。日本中がこの問題で大騒ぎになっているときに、それと何の関係もない「NHKの研究」なんて番組を出したら、バカだと思われるからだ。

しかし私が降りてからも騒ぎはどんどん大きくなり、ついにNHK初の「訂正放送」で会長が謝罪し、放送記念日特集では結局「ドキュメンタリーはどうあるべきか」というムスタン問題をテーマにした番組を放送した。出演した立花隆氏は「ただ事実を並べただけでドキュメントはできない。この程度の演出まで禁止すると、おもしろい番組にはならない」とコメントした。

郵政省はNHKに行政指導を行ない、NHKは担当したOというPDを懲戒解雇しようとしたが、Oは処分を拒否し、上司に「昔あなたも私のやったぐらいのことはやっただろう」と反撃した。彼は懲戒処分にはならず、次の異動で放送文化研究所に左遷され、定年までつとめた。

私がNHKをやめようと思ったきっかけは、この番組を降りたときだった。格好よくいえば、サラリーマンであることよりもジャーナリストであることを選んだわけだが、いつもは「情報公開」とか「説明責任」とか格好いいことをいっている上司が、自分の会社のことになると「ほっとけば世間も忘れる」などといって何も決めずに逃げ回る醜態を見て、いやになったのだ。