カフカの「掟の門前」という短編がある。門が開いているのだが、男が入ろうとすると、門番が阻止する。なぜかときいても、彼は「私は下っ端で、そう言われているだけだ」と答える。男は門番に懇願したり賄賂を渡したりして入ろうと試みるが、やがてあきらめ、門の前で老衰して死んでしまう。
ここで「掟」と訳した言葉は原文ではGesetzだが、実定法ではなく、暗黙の決まりのようなものだ。デリダは「掟は見張ることなく見張る。それは門番に守られてはいるが、門番は何を守ってもいない。門は開かれたままだが、何に向かっても開かれていない。すでに開かれている門を開けることはできないからだ」とコメントした。

この門番を、アガンベンは例外状態のメタファーと考えた。その典型は強制収容所だが、世界にはさまざまな形の収容所がある。暴力で閉じ込める場合もあれば、家を失ってやむなく入る収容所もある。そうした例外状態を作り出すのは戦争だけではなく、いろいろな形の主権だ。門番は男を主権の適用されない例外にして彼を締め出すのだ。

この不条理な状況をベンヤミンは意味なき効力と呼んだ。どんな掟も、できたときは何かの意味をもっていたはずだが、長い年月の間に人々はその根拠を忘れてしまう。全員がその存在を知っているので掟の効力は残るが、人々はその意味を知らないので破れない。逆にどんな無意味な掟も、すべての人々が守る限り効力をもつ。

いま福島の仮設住宅で起こっているのも、こういうカフカ的な状況だ。大部分の地域で残留放射能は健康には影響ないが、「門番」が帰宅させてくれない。それはなぜかときいても、「そう決まっているからだ」としか答えない。根拠はとっくになくなったが、帰宅を阻止する効力だけは残っている。被災者を排除しているのは法律でも科学でもなく、意味を失った掟なのだ。