きのうの経済塾で話した話の補足。日経新聞の森口千晶氏のデータは、いろいろなことを考えさせる。これはピケティと同じ手法で明治以降の日本の所得分配を計測し、戦前の日本はアメリカ型だったが、戦後はまったく違う平等社会になったことを示す。
経済学の常識では成長率の高いときは資本蓄積が大きく、所得格差も拡大するはずだが、戦後の日本は極端に高い資本蓄積率と成長率が見られたにもかかわらず、所得分配は平等なままだ。これは森口氏もいうように戦時体制と戦後改革の影響だろう。
1941年の国家総動員法による指定金融機関制度で、政府がメインバンクを使って資金を配分する国家社会主義体制ができた。この銀行と企業の関係は戦後も続き、財閥の解体と農地改革で経済民主化が進んだ。預金金利は規制で低く抑えられたが、貯蓄率が高かったため、企業に資本コストの低い資金が大量に供給され、設備投資が急速に進んだのだ。
このような資金不足の経済では、メインバンクが実質的な決定権者(残余請求権者)になり、企業をコントロールできるが、80年代以降、金融自由化で資金過剰になると銀行のコントロールがきかなくなり、バブルが崩壊した。このあとずっと日本経済は企業の貯蓄超過に悩まされるが、もっと深刻な問題はガバナンスの崩壊である。
これが日本経済が漂流を続ける最大の原因だから、銀行の金利をマイナスにする日銀の量的緩和は意味がない。問題は資金供給ではなく残余コントロール権なので、銀行貸し出しではなく資本市場(エクイティ)を機能させる必要があるが、持ち合いのネットワークが張りめぐらされている日本では困難だ。
しかし高度成長期のガバナンスを役所と銀行による経済的メリトクラシーと考えると、それを建て直すには日本経済を「戦前型」にすることが一つの方法だろう。もちろん財閥や不在地主を復活することは不可能だが、円安でKKRのようなprivate equityが(特に不動産で)動き始めた。こういうファンドを梃子にして資本や土地を投資家に集中することが、日本経済の活路になるかも知れない。
1941年の国家総動員法による指定金融機関制度で、政府がメインバンクを使って資金を配分する国家社会主義体制ができた。この銀行と企業の関係は戦後も続き、財閥の解体と農地改革で経済民主化が進んだ。預金金利は規制で低く抑えられたが、貯蓄率が高かったため、企業に資本コストの低い資金が大量に供給され、設備投資が急速に進んだのだ。
このような資金不足の経済では、メインバンクが実質的な決定権者(残余請求権者)になり、企業をコントロールできるが、80年代以降、金融自由化で資金過剰になると銀行のコントロールがきかなくなり、バブルが崩壊した。このあとずっと日本経済は企業の貯蓄超過に悩まされるが、もっと深刻な問題はガバナンスの崩壊である。
これが日本経済が漂流を続ける最大の原因だから、銀行の金利をマイナスにする日銀の量的緩和は意味がない。問題は資金供給ではなく残余コントロール権なので、銀行貸し出しではなく資本市場(エクイティ)を機能させる必要があるが、持ち合いのネットワークが張りめぐらされている日本では困難だ。
しかし高度成長期のガバナンスを役所と銀行による経済的メリトクラシーと考えると、それを建て直すには日本経済を「戦前型」にすることが一つの方法だろう。もちろん財閥や不在地主を復活することは不可能だが、円安でKKRのようなprivate equityが(特に不動産で)動き始めた。こういうファンドを梃子にして資本や土地を投資家に集中することが、日本経済の活路になるかも知れない。