今週の言論アリーナで高田純氏とも話した。当たり前のことだが、3・11から4年の節目で確認しておきたい。
- 年間1mSvを放射線被曝の上限にするという国の規制はない。国の帰還困難区域は50mSv以上であり、実測ではほとんど存在しない。20mSvを超える居住制限区域もほとんどないので、大規模な除染は必要ない。
- 福島第一原発から出ている汚染水のセシウム濃度は湾内の平均でも10Bq/kg以下であり、飲料水の水質基準を下回っている。このような健康に影響のない水をタンクに80万トンも貯水するのは、まもなく物理的限界を超える。
以上は科学的な事実であり、原子力を推進するか反対するかに無関係である。私が討論番組でこうのべても、反原発派は反論しない。それなのに、なぜ無意味な除染が続けられ、毎日7000人体制で原発の取水作業が行なわれているのか。
原因はゼロリスクを求める「空気」である。この国で、法律よりも科学よりも強い主権者だ。政治家も官僚も「命を粗末にする」という批判をあびたくないので、それに迎合する。どうせコストは東電(そして電力利用者)が払うのだから、彼らは困らない。
これを変えるには、安倍首相が「リスクをゼロにするのではなく科学的根拠にもとづいて見直す」と宣言するしかない。現場にまかせていると、いつまでも問題が先送りされ、被害が拡大する。いま被災者を苦しめているのは、こうした異常な状況を放置する政府の不作為である。
原因はゼロリスクを求める「空気」である。この国で、法律よりも科学よりも強い主権者だ。政治家も官僚も「命を粗末にする」という批判をあびたくないので、それに迎合する。どうせコストは東電(そして電力利用者)が払うのだから、彼らは困らない。
これを変えるには、安倍首相が「リスクをゼロにするのではなく科学的根拠にもとづいて見直す」と宣言するしかない。現場にまかせていると、いつまでも問題が先送りされ、被害が拡大する。いま被災者を苦しめているのは、こうした異常な状況を放置する政府の不作為である。