リヴァイアサン1 (古典新訳文庫)
アゴラの書評の補足。資本主義が主権国家を無力化すると、ホッブズの想定した「自然状態」がグローバルに出現する。これはゲーム理論でいう囚人のジレンマだが、彼が想定したのは思考実験ではなく、17世紀のイギリスで続いた内戦である。

それを解決する主権者も、ジェームズ1世やチャールズ1世などの世襲の国王だった。「万人の万人に対する闘い」も観念的な紛争ではなく、戦争である。権利侵害の最たるものは他人の身体の自由を奪う暴力だから、もっとも重要な契約は安全保障なのだ。
20世紀には国家に管理されていた資本主義がホッブズ的な状態に戻りつつある原因は、逆説的だが、この安全保障の問題が緩和されたことだと思う。人々がつねに命の危険にさらされている自然状態では、ホッブズもいうように「勤労も耕作も航海も行なわれない」。経済が成り立つには、民主制や寡頭制のような「混合政体」ではなく、一人の主権者が暴力を独占しなければならない。

こういう問題は今でもあるが、半世紀に2度も世界大戦が行なわれた20世紀に比べると、軍事的リスクは大幅に軽減された。それを実現したのは「平和主義」ではなく、ホッブズのいう通り国家が暴力を独占し、互いに牽制する恐怖の均衡である。

しかし安全保障がコモディタイズすると、かつて国家と一体だった資本が自立し、国境を超えて移動するようになる。19世紀にイギリスの金融資本が最強だったのは、大英帝国の軍事力に守られたためだが、今ではコンピュータのセキュリティさえ保証されれば、ケイマン諸島でもマカオでもよい。

主要な産業が農業と製造業だった時代には、資本収益を拡大するには領土の拡大が必要だったが、今では最大の付加価値の源泉は土地に依存しない知的資本なので、戦争という高コストの手段で掠奪する必要はない。国家は「自由経済」を守り、金融資本が他国で上げた収益を保護して増殖させ、その富に寄生すればいいのだ。

ここでは受益と負担の非対称性が大きいので、モラルハザードが発生する。移動コストがゼロに近い金融資本がオフショアに逃避して負担を最小化すると、移動コストの高い労働者に税負担が集中する。世界の総資産の1割が地下経済化しているとすれば、最大のフリーライダーは金融資本と大富豪だ――というピケティの指摘は正しい。

これを解決する方法は、ホッブズの時代と変わらない:各国の上に立って(暴力をともなって)命令する「絶対的な主権者」を設立することだ。そういう世界政府はカントの時代から語られてきたが、見果てぬ夢である。それが不可能である限り、主権国家とグローバル資本主義の闘いで、前者に勝ち目はない。資本主義が終わるのは、それが国家(commonwealth)を致命的に蝕んで資本主義そのものが立ちゆかなくなるときだろう。

本書は昨年12月に出た新訳(第1部のみ)だが、第13章「人類の自然状態」だけでも読む価値がある。記述は、ゲーム理論の教科書のように論理的である。