国家とは何か (文春学藝ライブラリー)
安倍首相には「右翼」というレッテルがついて回るが、彼の政策は右派ではない。安全保障政策は常識的だし、経済政策はむしろ左派だ。田崎史郎氏によれば、安倍氏の靖国参拝の動機は、第1次内閣を投げ出して批判を浴びた失意の時期に、彼を助けてくれた保守派への「恩返し」だという。

そういう保守派論客の元祖が福田恆存だが、本書に集められた評論にみられるのは、一般のイメージとは違って英米的な個人主義だ。彼は戦前も全体主義を嫌悪し、自由主義を擁護した。彼が社会主義を批判したのも、それを「左の全体主義」とみたからだ。
しかし現実の政治では一貫して主流だった保守派は、論壇では一貫して傍流だった。主流派が東大法学部などのアカデミズムにいたのに対して、傍流は作家や評論家で、質量ともに劣っていた。その中でもっとも高水準だった福田でさえ、本書に収められた政治評論はみずから「アマチュア」と認めるレベルだ。

もちろん今からみると、高度な学識にもとづく丸山眞男の「非武装国家」論より、福田の常識的な疑問のほうが正しかったのだが、それはアカデミズムでもジャーナリズムでも主流にはならなかった。社会党が国会で万年野党だったように、保守派は論壇の万年野党だった。

福田もいうように新憲法は、敗戦のどさくさでつくられた「当用憲法」であり、日本語としても悪文である。しかし日本は、それを改正するチャンスを逃し、憲法で保持しないはずの軍隊をなし崩しに保持し、日米同盟で長い平和を守ってきた。今では安全保障の立場からみても、それを改正する必然性はなく、その可能性はゼロに近い。

2016年の参院選で与党で2/3を獲得して憲法改正を発議するのが安倍氏の目標らしいが、公明党は改憲に賛成しない。次世代の党などの改憲勢力と協力するのも無理だ。安倍氏の信頼する田母神俊雄氏は、東京12区で最下位で落選した。

論壇の主流だった左派の空想的平和主義が左のユートピアだったとすれば、福田から安倍首相に至る憲法改正も、右のユートピアなのだ。現実に日本を動かしたのは、アメリカの核の傘に守られて成長した資本主義と、その果実を分配して既得権を守った官僚機構だった。

ユートピアは「どこにもない国」である限りでは美しいが、何かの間違いで実現すると、ロシアや中国のような悲劇をもたらす。丸山の主張した非武装国家が消え去ったように、福田のとなえた「押しつけ憲法」の改正も、見果てぬ夢に終わるだろう。それはマンハイムもいうように、「保守主義のユートピア」というのが形容矛盾だからである。