きのうのアゴラ読書塾でも話したが、今回の総選挙で目立つのは「争点の不在」である。肝心の増税延期に野党が賛成した上に、次の国会で争点になりそうな集団的自衛権が、自民党の政策パンフレットから消えているのだ。
これは公明党に配慮したためだろう。自民党の集票基盤が高齢化して弱体化する中で、公明党のプレゼンスが相対的に上がり、彼らが自公政権の「最大派閥」になりつつある。公明党の中核部隊である創価学会婦人部は、55年体制における社会党と総評の劣化コピーだ。

このようなセンチメンタルな平和主義の伝統をつくったのは、1950年代の平和運動だった。特に「全面講和」を求める南原繁や丸山眞男などの進歩的知識人が、朝日新聞や岩波書店など「論壇」の主流だった。その中心だった平和問題談話会の声明は、次のようにのべる。
日本の経済的自立は、日本がアジア諸国、特に中国との間に広汎、緊密、自由なる貿易関係を持つことを最も重要な条件とし、言うまでもなく、この条件は全面講和の確立を通じてのみ充たされるであろう。伝えられる如き単独講和は、日本と中国その他の諸国との関連を切断する結果となり、自ら日本の経済を特定国家への依存及び隷属の地位に立たしめざるを得ない
ここでいう「単独講和」はサンフランシスコ条約(および48ヶ国との講和条約)のことで、「全面講和」とは中ソを入れた講和条約のことだ。彼らのいう通り、日本政府が全面講和できるまで日米の講和条約を結ばなかったら、いまだに日本は独立できていない。中国とは1978年に平和条約を結んだが、ロシアとはまだ正式の平和条約を結んでいないからだ。

その後の60年安保も不平等条約の改正であり、何が悪いのかさっぱりわからない。反対運動の中心だった丸山も、のちに「あれは条約ではなく強行採決に反対したのだ」と弁解している。彼は60年安保を最後に政治活動から身を引き、後年はこの時期の活動についてはほとんど語らなかった。

しかし、このとき国民が「アンポハンタイ」で結集した成功体験が左翼に受け継がれ、「憲法を守れ」という以外に政策をもたない野党が生き延びてきた。社会党が崩壊したあとも、集団的自衛権に反対する朝日新聞や公明党の「アンチ戦後レジーム」が続いている。

「戦後レジーム」をつくった吉田茂も、これが一時的なしくみであることは自覚していたが、それが日本人の平和ボケの伝統にあまりにも適合していたため、変えられなくなった。それに挑戦しようとした安倍首相が、その左翼的補完物である公明党=創価学会に屈服した今、日本の「戦後」は永遠に終わらないだろう。