岸信介証言録 (中公文庫)
生前の岸信介にインタビューしたカメラマンは「本当に怪物ですね」と感心していた。当時の岸は90歳近かったが、頭が明晰で記憶力が確かなことに驚いたという。本書も85歳のときのインタビューだが、戦前の話も詳細に語っている。

岸はA級戦犯容疑者で、60年安保の悪役だ。当時の正義の味方は「全面講和」を求める護憲勢力だったが、公平にみて正しかったのは、日米関係を対等にするために安保条約を改正した岸である。軽武装の「吉田ドクトリン」で戦後日本の路線を決めた吉田茂も、改憲論者だったと岸はいう。
岸が北一輝に心酔した国家社会主義者だったこともよく知られているが、彼は(東大の恩師)上杉慎吉のような国粋主義にはついていけなかったという。他方でボルシェヴィキのような暴力革命は絶対に防ぐべきだと考え、計画経済にも反対して「自由主義」を政治信条とした。

戦前から一貫する岸の信念は、よくも悪くも国家を大事にする思想である。戦争の時代を生き抜いて、国民の生命・財産を守ることが政治の最大の使命であることを彼は知っていた。社会党や新聞の「左巻き」がきれいごとをいっても、政治は変わらない。
吉田さんがつくった安保条約では、日本がアメリカに占領されているようなものなんです。形式的には占領軍が撤退して、その後あらためて米軍がやってきて日本を占領している状況が、旧安保条約なんです。そんなもので、日本が安全であるとはいえない。日本の独立の基礎を確立するということが、すべての政治の出発点なんです。(p.423)
55年体制も、彼は過渡的なものと考えていた。小選挙区制で「国民の圧倒的支持を受ける二つの党が競う」しくみをつくる必要があるという。過渡的には自民党一党支配が強まるかもしれないが、自民党で公認されなかった候補が社会党に流れ、社会党が労働組合の党ではなく、自民党と競争する現実的な党になる――という岸の構想に、片山哲(社会党委員長)も賛成したという。

印象的なのは、国家の指導者としてのスケールの大きさだ。世間の評判は意に介さず、60年安保で全学連が暴れたときも、「隣の後楽園球場は満員だ」といった。こうした態度が彼の悪役イメージを強めたことを少し反省しているが、「日本を独立させる」という彼の信念はゆるがなかった。

とりわけ岸が危機感をもっていたのは、財政だった。当時の財政赤字はまだ(年度ベースで)2兆円だったが、それが膨張すると国家の根幹をゆるがすことを、戦前の歴史は示している。彼の孫が1000兆円の政府債務を先送りして解散したポピュリズムを、泉下の岸はどうみているだろうか。