英語で慰安婦問題について書くと"Holocaust denier!"という類の悪罵が飛んでくる。「日本人はドイツ人のように戦争犯罪を反省していない」という話がよくあるが、ホロコーストは単なる戦争犯罪ではなく、ヒトラーでさえ隠した絶対悪である。それに比べれば、日本が第2次大戦でやったことは(第1次大戦のような)普通の戦争犯罪にすぎない。
ドイツ人は戦後ずっと、ホロコーストの十字架を背負って生きてきた。彼らはそれをせめて合理的に理解しようとしたが、それは不可能だった。殺した人数でいえばスターリンの粛清や毛沢東の大躍進のほうが多いが、これには共産主義という大義があった。それに対してホロコーストには、何の意味もないのだ。
ホロコーストで恐るべきなのはヒトラーの狂気ではなく、それに従って多くのドイツ人がユダヤ人を合理的に虐殺したことだ。フランクフルト学派は、この問題を追究し続けた。「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」というアドルノの有名な言葉は、次のように続く。
ドイツ人は戦後ずっと、ホロコーストの十字架を背負って生きてきた。彼らはそれをせめて合理的に理解しようとしたが、それは不可能だった。殺した人数でいえばスターリンの粛清や毛沢東の大躍進のほうが多いが、これには共産主義という大義があった。それに対してホロコーストには、何の意味もないのだ。
ホロコーストで恐るべきなのはヒトラーの狂気ではなく、それに従って多くのドイツ人がユダヤ人を合理的に虐殺したことだ。フランクフルト学派は、この問題を追究し続けた。「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」というアドルノの有名な言葉は、次のように続く。
物象化は精神の進歩をみずからのさまざまな要素のひとつとして前提としていたが、こんにち物象化は完全に精神を呑み込もうとしている。自己満足的な観照という姿でみずからのもとにとどまっている限り、批判的精神はこの絶対的な物象化に太刀打ちできないのである。(アドルノ『プリズメン』)
近代科学が精神を物象化し、合理化することによって暴力が組織化され、歴史上かつてない規模に拡大した時代には、文学的な自己満足は無力である。ここでいう物象化はルカーチの言葉だが、マルクスの商品化とウェーバーの合理化を継承する概念である。
彼とホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』で、科学や理性の中に暴力の起源があると論じた。アドルノは古代ギリシャまでさかのぼり、オデュッセウスによる自然支配の神話の中に、暴力を合理化する装置が内蔵されていたと論じる。自然を法則で同一化する科学の方法論を濫用すれば、核兵器のような巨大な暴力をつくることができるのだ。
彼が徹底的に批判したのは、ハイデガーである。哲学が「本来性」を探究する特権的な学だと僭称し、ドイツ人の帰るべき「ふるさと」を求めたハイデガーの思想がファシズムの温床だった。この本来性の神話は、科学の同一性の神話と同根だ、とアドルノは論じ、それに対して非同一性の原理を提示する。
フランクフルト学派は1960年代に新左翼にもてはやされたが、その原因はこういう難解な理論ではなく、マルクーゼの『一次元的人間』だった。それは文化産業が大衆を支配するイデオロギーだという理論にもとづいて、資本主義を全面的に否定する「文化革命」を主張するアジテーションだった。
新左翼の敗北のあと、ハーバーマスは「本来的な公共性」やら「本来的なコミュニケーション的行為」を根拠にして政府を批判する凡庸な説教になってしまった。しかしフランクフルト学派の影響は、今もヨーロッパだけではなく、アメリカ民主党の活動家にも残っている。それはヘーゲル以来の疎外論の負の遺産である。
彼とホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』で、科学や理性の中に暴力の起源があると論じた。アドルノは古代ギリシャまでさかのぼり、オデュッセウスによる自然支配の神話の中に、暴力を合理化する装置が内蔵されていたと論じる。自然を法則で同一化する科学の方法論を濫用すれば、核兵器のような巨大な暴力をつくることができるのだ。
彼が徹底的に批判したのは、ハイデガーである。哲学が「本来性」を探究する特権的な学だと僭称し、ドイツ人の帰るべき「ふるさと」を求めたハイデガーの思想がファシズムの温床だった。この本来性の神話は、科学の同一性の神話と同根だ、とアドルノは論じ、それに対して非同一性の原理を提示する。
フランクフルト学派は1960年代に新左翼にもてはやされたが、その原因はこういう難解な理論ではなく、マルクーゼの『一次元的人間』だった。それは文化産業が大衆を支配するイデオロギーだという理論にもとづいて、資本主義を全面的に否定する「文化革命」を主張するアジテーションだった。
新左翼の敗北のあと、ハーバーマスは「本来的な公共性」やら「本来的なコミュニケーション的行為」を根拠にして政府を批判する凡庸な説教になってしまった。しかしフランクフルト学派の影響は、今もヨーロッパだけではなく、アメリカ民主党の活動家にも残っている。それはヘーゲル以来の疎外論の負の遺産である。