鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮 (中公文庫)
右翼だけでなく左翼にも、日本がアメリカの属国だというルサンチマンは強いが、彼らがともに見逃しているのは、日本国民が戦後70年近く属国を選んできたという事実である。憲法を改正しようと思えば制度上はできたし、逆に日米安保を破棄することもできたが、どっちもしなかった。こういう平和ボケは、いつから始まったのだろうか。

本書は丸山眞男を参照していないが、ほとんど同じ結論を出している。戦国時代の終わりに、徳川家康は戦争を「凍結」したのだ。幕府は1607年に鉄砲鍛冶を規制し、鉄砲代官の許可なく製造できないことにした。似たような法律は英仏にもあったが、機能しなかった。何しろ国をあげて戦争を続けていたのだから。
これに対して日本の鉄砲規制は徹底し、鉄砲は徳川幕府の独占状態になった。鉄砲鍛冶は生活に困って刀鍛冶になり、武道は儀礼化して美的に洗練され、剣術を教える道場がはやった。西洋では軍事革命で大砲や爆弾などの激しい技術革新が起きていた時代に、日本人は世界にもまれな国内軍縮を実現したのだ。

多くの国が乱立して戦争が続くとき、解決法は基本的に二つしかない。一国が他のすべての国を征服して統一するか、複数の国が平和条約を結んで休戦するかである。前者の極致が中国やロシアのような専制国家だとすれば、後者の極致が幕藩体制だろう(両者の中間の主権国家は不安定で戦争が多い)。300もの「国」が300年近くも平和を守った歴史は、世界に誇ってよい。実は織田信長も、西洋的な意味での「統一国家」を考えてはいなかったらしい。

これは日本人に武器をつくる能力がなかったためではなく、互いに牽制してつくらなかっただけだから、明治以降、武士のエートスが「解凍」されて戦艦や戦闘機の技術が入ってくると、驚くほど早く西洋にキャッチアップした。しかし国内戦争の抑止は巧みだったが、対外的な戦争には慣れていなかったので、最終的にはボロ負けした。

こういう日本人にとって、戦後の「マッカーサーの平和」は、きわめて自然だった。徳川幕府の代わりにGHQが平和を守り、軍閥は武器を捨てた。その後はソ連や中国が核武装したが、アメリカが核の傘で守ってくれた。これは軍事的な植民地状態だが、その「宗主国」は幸い、物わかりのいい豊かな強国だった。

だから今の属国状態は、一種の地政学的な均衡状態なのだ。日本人の大部分は「国の誇り」にも「絶対平和主義」にも興味がないので、これほど心地よい状況はない。戦争のことを考えないのが「リベラル」だと思い込み、「集団的自衛権反対」とか「秘密保護法反対」と言っていればいいのだ。それが永遠に続くものなら…