世界史の中の近代日韓関係
韓国の歴史についての本で厄介なのは、中立の本がほとんどなく、大部分は嫌韓本の類だということだ。他方、岩波から出ている本は、吉見義明氏の『従軍慰安婦』のように、トンデモ本に近い(英語の本は100%トンデモ)。本書は、その中で数少ない中立に近い(やや左?)本である。

史実は専門家の間ではそれほど争いがないが、ここでは韓国が重視している日韓併合を取り上げよう。毎日新聞ソウル支局長の分析によれば、「95年10月に村山富市首相が参院本会議で、韓国を植民地化した日韓併合条約について法的に有効に締結されたと答弁」したことが、金泳三政権を硬化させたという。
日韓併合は国際法にのっとって締結された正式の条約であり、当時の大韓帝国も閣議で了承した。その内容が韓国を日本に従属させる、一種の不平等条約だったことも明らかだが、それは無効だという根拠にはならない。日米和親条約が不平等条約だからといって、無効にはならないのと同じだ。

ただ1907年の第3次日韓協約で韓国の内政権が日本に移行し、韓国軍の解散が決まったので、併合は形式上のものだった。伊藤博文も第3次協約には(不本意ながら)賛成したので、彼が暗殺されなくても、結果はそれほど変わらなかっただろう。

本書でおもしろいのは、アメリカとの関係だ。日露戦争でロシアを朝鮮半島から放逐した日本は、1905年にアメリカと桂・タフト協定を結び、日本の朝鮮支配権をアメリカが認めると同時に、アメリカのフィリピン支配権を日本が認めた。日英同盟とあわせて、日英米で朝鮮半島を支配する「トライアングル体制」ができたのだ。

よくも悪くも日韓併合は、国際的に承認された支配体制だった。その後も朝鮮半島は日本の「兵站基地」になり、抵抗は1919年の三・一事件しかない。朝鮮が独立国として成り立たないことは世界の常識で、問題はどこの国が取るかだけだった。

日韓併合は日英米共同の信託統治のようなもので、この状況は1923年に日英同盟が終わるまで続いた。このあとアメリカがアジアに対する支配力を強め、満州をめぐって日本と対立した。満州事変ではアメリカは日本の権益を実質的に認めたが、日本は国際連盟を脱退して孤立の道を歩んだ。日英同盟の解消が、意外に重要な歴史の分岐点だったのかもしれない。