きのうアゴラ読書塾で話したことだが、日本軍は戦争に負けたのではなく、補給の失敗で自滅した。その原因はいまだに十分解明されていないが、これは資源配分の問題と考えると理解できる。これには二つの解法がある。一つは市場経済などによってボトムアップで答を見つける方法、もう一つはトップダウンの計算で解く方法である。拙著『ハイエク 知識社会の自由主義』から引用しておく。
市場経済では、人々は複雑な計算をしなくても、ある商品の価格を見て、それが自分の主観的な評価(限界効用)より高いか安いかを考え、安いと思えば買えばよい。そうした需要と供給の相互作用によって商品の価値が決まり、企業は利潤(あるいは損失)を上げる。このように価格を通じて消費者の評価が伝えられることによって、企業は正しい価格を計算なしに知ることができる。
 
これに対して、1940年代にはこうした最適解を計算する手法が開発され、戦時経済における物流や生産の管理に実際に使われた。こうした手法は、オペレーションズ・リサーチ(OR)と呼ばれた。ORは「作戦研究」という名の示すとおり、もとは戦争において補給を効率的に行なうシステムとして開発された。こうした手法は、戦争のように目的関数がはっきり決まっていて変化しないときには有効だ。

ある作戦に、武器と石油と食糧という三つの資源が必要だとしよう。いくら武器がたくさんあっても、石油がなかったら動けないし、食糧がなくなったら兵士が飢え死にしてしまう。こういうときの基本的な考え方は、なるべくバランスよく予算を割り当て、ボトルネックをなくすことだ。

かりにすべての予算を武器に割り当てたとすると、石油も食糧もないので戦力はゼロだ。そこで石油と食糧に一単位ずつ予算を配分すると、戦力は一単位ぶん増えるが、武器が余ってしまう。そこで余った武器予算をまた他の資源に割り当てると戦力が増える…というようにシミュレーションを繰り返し、戦力が増えなくなったところでやめると、最適な資源配分が求められる。資源の数が増えると、この計算は非常に複雑になるので、コンピュータが必要だ。

米軍は、こういう手法で補給を手厚く行なったが、日本軍は補給を考えないで、ほとんどの予算を武器につぎ込んだため、第二次大戦の戦死者230万人のほぼ半数が餓死という悲惨な結果になった。(pp.53~7)


このように市場経済で解く方法とORで解く方法は、最適解が一つしかない場合には同じで、これを双対性と呼ぶ。しかし答が一つではない場合は、結果は大きく違う。与えられた価格をもとにして個人が消費や生産を決める計算は簡単だが、その集計が全体最適になるのは例外だ。他方、経済全体の需要と供給を集計して最適解を計算することは通常は不可能だが、戦争のように計画主体と目的関数がはっきりしている場合は一発で解ける。

日本社会では、すべての問題をボトムアップで(分権的に)解こうとする。これは平時には有効だが、戦時には調整に時間がかかって解が求められない。米軍はORを使って補給の問題をトップダウンで(集権的に)解き、戦死者はわずか10万人だった。ORは軍事機密で、これを経済学に応用したKoopmansはノーベル賞を受賞した。

このように戦争をボトムアップでやったことが日本軍の本質的な失敗で、この教訓は現代にも通じる。20世紀の製造業では目的関数が与えられていたので、それを現場主義で解いて集計する日本企業の手法が有効だったが、21世紀の情報産業では目的関数の設定で勝負が決まる。バラバラの部分最適の集計が全体最適になることはまずない。

要するに、現代の資本主義は戦争に近づいているのだ。そこで必要なのはコンセンサスではなく命令であり、合理的な(一貫した)目的関数を設定して独裁的に実行するスピードだ。これが戦争の好きなアメリカ人がグローバル資本主義で強い理由である。