アベノミクスが始まったころはリフレ派は勢いがよかったが、政権発足から1年半たっても、株式市場以外の実体経済には何も結果が出ていない。これをどう見るかが本書のテーマだ。リフレ派と反リフレ派の論争という形になっているが、論争の体をなしていない。リフレ派が総崩れだからである。
第2章の片岡剛士「金融政策で物価をコントロールできる」は、このタイトルを何も証明していない。彼が「デフレは賃下げのせいではない」とかいろいろ言い訳した末に出すのは、おなじみの次のような図だ。

マネタリーベース(赤)とマネーストック(青)の前年比(日銀調べ)
このようにマネタリーベースとマネーストックの相関がゼロ金利では切れたことを認めた上で、彼は「物価に影響を及ぼす有効な手段がないために金融政策は物価をコントロールできないという議論は誤りと言えるのではないだろうか」と弱々しく結ぶ。気の毒だが、上の図からいえることは彼の文章とは正反対の事実である。
第6章の高橋洋一氏の話は、回帰分析で2年前のマネーストック増加率と、一人あたり報酬や失業率や名目GDPの相関を取っているが、自分が何をいっているのかわかってるんだろうか。これは今の景気回復は白川総裁のおかげだといってるんだよ。
いちばん正直なのは、第13章の原田泰氏だ。円安で輸出が増えないことについて「私自身もリフレ派のエコノミストであるので、まず正直に意外な結果であったことを告白しておこう」と認めた上で、「そのうち増えるかも知れない」とか「それも良いこと」などと苦しい言い訳が続く。リフレの効果も見えないことを認めている。実質的に「転向」したといえよう。
輸出が増えない原因は、第14章の斉藤誠氏の指摘する交易条件だ。彼は「2010年代の交易条件の悪化は1970年代の石油危機より深刻だ」とし、エネルギーなど一次産品価格の上昇が最大の問題だと分析する。これは私がJBpressに書いたのと同じだ。この問題を解決するには、まず原発を通常どおり運転することが第一だが、それ以上の対策は困難だ。
いずれにせよはっきりしたのは、日銀のリフレ政策は、標準的なマクロ経済学の予想どおり有害無益だったということである。今さら地動説を確認するのも、それなりに学問的な意味はあるが、国民を巻き込んでバカバカしい「社会実験」をするのは、もうやめてほしいものだ。リフレ派の嘘は、小保方氏よりはるかに実害が大きい。
第2章の片岡剛士「金融政策で物価をコントロールできる」は、このタイトルを何も証明していない。彼が「デフレは賃下げのせいではない」とかいろいろ言い訳した末に出すのは、おなじみの次のような図だ。

マネタリーベース(赤)とマネーストック(青)の前年比(日銀調べ)
このようにマネタリーベースとマネーストックの相関がゼロ金利では切れたことを認めた上で、彼は「物価に影響を及ぼす有効な手段がないために金融政策は物価をコントロールできないという議論は誤りと言えるのではないだろうか」と弱々しく結ぶ。気の毒だが、上の図からいえることは彼の文章とは正反対の事実である。
第6章の高橋洋一氏の話は、回帰分析で2年前のマネーストック増加率と、一人あたり報酬や失業率や名目GDPの相関を取っているが、自分が何をいっているのかわかってるんだろうか。これは今の景気回復は白川総裁のおかげだといってるんだよ。
いちばん正直なのは、第13章の原田泰氏だ。円安で輸出が増えないことについて「私自身もリフレ派のエコノミストであるので、まず正直に意外な結果であったことを告白しておこう」と認めた上で、「そのうち増えるかも知れない」とか「それも良いこと」などと苦しい言い訳が続く。リフレの効果も見えないことを認めている。実質的に「転向」したといえよう。
輸出が増えない原因は、第14章の斉藤誠氏の指摘する交易条件だ。彼は「2010年代の交易条件の悪化は1970年代の石油危機より深刻だ」とし、エネルギーなど一次産品価格の上昇が最大の問題だと分析する。これは私がJBpressに書いたのと同じだ。この問題を解決するには、まず原発を通常どおり運転することが第一だが、それ以上の対策は困難だ。
いずれにせよはっきりしたのは、日銀のリフレ政策は、標準的なマクロ経済学の予想どおり有害無益だったということである。今さら地動説を確認するのも、それなりに学問的な意味はあるが、国民を巻き込んでバカバカしい「社会実験」をするのは、もうやめてほしいものだ。リフレ派の嘘は、小保方氏よりはるかに実害が大きい。



