中国は韓国に接近し、アメリカとは太平洋を分割する「G2時代」を築こうとしているようだ。経済不安が高まる中で、彼らのもくろみ通りになるかどうかは不明だが、その今後を考える上では共産主義や毛沢東思想より儒学を学んだほうがいいと思う。
宋代以降の儒学の主流だった朱子学は、トマス・アクィナスの神学のような総合的体系で、保守的で退屈だ。これに対して陽明学は、カルヴァンの神学のように実践的で、直接行動を呼びかけるものだ。
宋代以降の儒学の主流だった朱子学は、トマス・アクィナスの神学のような総合的体系で、保守的で退屈だ。これに対して陽明学は、カルヴァンの神学のように実践的で、直接行動を呼びかけるものだ。
日本に輸入された官学は朱子学だったが、大きな影響を与えたのは陽明学だった。そのコアは「心即理」すなわち純粋な動機による行動は正しいという原理だ。これが日本に古事記からみられるキヨキココロの倫理と一致するのは、おそらく人類に普遍的な利他的感情を刺激するからだろう。
中国では主流にならなかった陽明学が、日本ではこうした「古層」と共鳴して流行し、水戸学を経由して吉田松陰の尊王攘夷思想になった。その思想的な実体は時代錯誤の排外主義だったが、真の「天子」は天皇であり、その秩序を「復古」するためには老中の暗殺も辞さないという政治的ロマン主義で、長州藩士に強くアピールした。
本来の靖国神社は、こうした日本的儒学にもとづいて天皇家に殉じたテロリストをまつる私的な施設である。だから著者も指摘するように、それは国のために心ならずも死んだ人をまつる場所ではない。しかし明治以降、このテロリズムが「武士道」と称して美化され、陽明学が日本的な心情倫理と「習合」したのが日本的ファシズムだった。
この先兵になったのが蓑田胸喜や頭山満などの右翼であり、それを思想的に高めて青年将校を煽動したのが、北一輝や大川周明だった。彼らの共通点は「アジアは一体」と考え、儒学の「五族協和」を理念としたことだ。
それを戦後も受け継いでマンガ的な形をとったのが、『葉隠』と陽明学をごちゃごちゃに賞賛して自殺した三島由紀夫だった。これは靖国神社を参拝して国会で「政治家は吉田松陰のようであれ」とテロリストを賞賛した小泉元首相に受け継がれ、その後継者が安倍首相である。彼の日本的ナショナリズムの起源は、実は彼が仮想敵国としている中国(宋)にあるのだ。
陽明学は「心情の純粋性」を至上の価値としてテロを正当化する思想であり、中国で革命を実現したのもほとんどがこの手の宗教的熱狂だった。それは思想的には低俗なものだが、人々を熱狂させる魔力がある。それが社会を変える上で有効であることも吉田松陰や北一輝が証明したが、その結果が前よりよくなるかどうかは別問題である。
中国では主流にならなかった陽明学が、日本ではこうした「古層」と共鳴して流行し、水戸学を経由して吉田松陰の尊王攘夷思想になった。その思想的な実体は時代錯誤の排外主義だったが、真の「天子」は天皇であり、その秩序を「復古」するためには老中の暗殺も辞さないという政治的ロマン主義で、長州藩士に強くアピールした。
本来の靖国神社は、こうした日本的儒学にもとづいて天皇家に殉じたテロリストをまつる私的な施設である。だから著者も指摘するように、それは国のために心ならずも死んだ人をまつる場所ではない。しかし明治以降、このテロリズムが「武士道」と称して美化され、陽明学が日本的な心情倫理と「習合」したのが日本的ファシズムだった。
この先兵になったのが蓑田胸喜や頭山満などの右翼であり、それを思想的に高めて青年将校を煽動したのが、北一輝や大川周明だった。彼らの共通点は「アジアは一体」と考え、儒学の「五族協和」を理念としたことだ。
それを戦後も受け継いでマンガ的な形をとったのが、『葉隠』と陽明学をごちゃごちゃに賞賛して自殺した三島由紀夫だった。これは靖国神社を参拝して国会で「政治家は吉田松陰のようであれ」とテロリストを賞賛した小泉元首相に受け継がれ、その後継者が安倍首相である。彼の日本的ナショナリズムの起源は、実は彼が仮想敵国としている中国(宋)にあるのだ。
陽明学は「心情の純粋性」を至上の価値としてテロを正当化する思想であり、中国で革命を実現したのもほとんどがこの手の宗教的熱狂だった。それは思想的には低俗なものだが、人々を熱狂させる魔力がある。それが社会を変える上で有効であることも吉田松陰や北一輝が証明したが、その結果が前よりよくなるかどうかは別問題である。



