都議会のヤジ事件は問題の都議が名乗り出て一件落着したが、うんざりするのはアメリカのメディアが「女性はお茶くみしかできない」とか「男尊女卑の伝統」とかいうステレオタイプの日本批判を繰り返すことだ。アゴラにも書いたように、これは日本の伝統ではなく厚労省の労働政策が原因だが、彼らの脳内には儒教的な家父長主義があるのかもしれない。
儒教は西洋的な意味での宗教ではなく、『論語』のテキストともほとんど無関係だ。それは官僚の統治技術であり、そのポイントは情報の集中処理である。古代には漢字を読めることが特別な技能だったから、抽象的な情報を処理できる(左脳の発達した)人々が権力を独占して国家をコントロールすることが効率的だった。これは軍事的な意味ばかりでなく、江南開発のような大規模な潅漑事業では広域で情報処理する必要があった。
これは大型コンピュータみたいなもので、民衆はよけいな情報をもたないダム端末になり、皇帝とそれを補佐する官僚機構がすべての情報を処理する。それに対して日本は、情報処理が分散されたインターネットみたいなものだ。同じようにフラクタルなネットワークでも、儒教ではホスト機(皇帝)が情報をコントロールするが、天皇制では端末(現場)が情報をコントロールする。
両者は根本的なアーキテクチャの違いで、どっちが先験的にいいということはない。計算能力が貧弱なときはハードウェアを中央に集中して情報を一括処理する儒教的専制が効率的だが、端末の計算能力が高くなるとハードウェアを分散して処理する共和制(天皇制はその変種)が効率的になる(Bolton-Dewatripont)。
日本の社会はもともとインターネットのような分散ネットワークだが、ローカルには大型機をホストにする場合がある。その最たるものが霞ヶ関で、私が勤務していたころまで「霞ヶ関WAN」と称する大型機ネットワークで省庁間の連絡をしていた。住基ネットやマイナンバー(共通番号制)も、悪夢のように複雑な大型機ベースのレガシーシステムだ。
資本主義もローカルには集中処理だが、起業や倒産(解雇)で企業をネットワークに追加・分離できるスケーラブルな構造になっている。これに対して厚労省の社会保障や労働政策は、企業や労働者を拘束してスケーラビリティを阻害している。インターネットを電話交換機で接続する、昔のNTTのISDNみたいなものだ。
本家の中国でも、末端まで皇帝が支配していたわけではない。内藤湖南もいうように中央官庁は「宗主国」で、各地方は「植民地」みたいなものだった。地方や親族集団の中では分散ネットワークが機能していたが、全体を大型コンピュータが集中処理する儒教型アーキテクチャが変化を阻害している。
明治以降の日本は「尊王攘夷」という偽物の儒教イデオロギーから出発したため、統治機構の中枢にレガシー構造を残している。その最たるものが、厚労省の家父長主義だ。これを解体しないかぎり、日本経済の停滞は脱却できない。
これは大型コンピュータみたいなもので、民衆はよけいな情報をもたないダム端末になり、皇帝とそれを補佐する官僚機構がすべての情報を処理する。それに対して日本は、情報処理が分散されたインターネットみたいなものだ。同じようにフラクタルなネットワークでも、儒教ではホスト機(皇帝)が情報をコントロールするが、天皇制では端末(現場)が情報をコントロールする。
両者は根本的なアーキテクチャの違いで、どっちが先験的にいいということはない。計算能力が貧弱なときはハードウェアを中央に集中して情報を一括処理する儒教的専制が効率的だが、端末の計算能力が高くなるとハードウェアを分散して処理する共和制(天皇制はその変種)が効率的になる(Bolton-Dewatripont)。
日本の社会はもともとインターネットのような分散ネットワークだが、ローカルには大型機をホストにする場合がある。その最たるものが霞ヶ関で、私が勤務していたころまで「霞ヶ関WAN」と称する大型機ネットワークで省庁間の連絡をしていた。住基ネットやマイナンバー(共通番号制)も、悪夢のように複雑な大型機ベースのレガシーシステムだ。
資本主義もローカルには集中処理だが、起業や倒産(解雇)で企業をネットワークに追加・分離できるスケーラブルな構造になっている。これに対して厚労省の社会保障や労働政策は、企業や労働者を拘束してスケーラビリティを阻害している。インターネットを電話交換機で接続する、昔のNTTのISDNみたいなものだ。
本家の中国でも、末端まで皇帝が支配していたわけではない。内藤湖南もいうように中央官庁は「宗主国」で、各地方は「植民地」みたいなものだった。地方や親族集団の中では分散ネットワークが機能していたが、全体を大型コンピュータが集中処理する儒教型アーキテクチャが変化を阻害している。
明治以降の日本は「尊王攘夷」という偽物の儒教イデオロギーから出発したため、統治機構の中枢にレガシー構造を残している。その最たるものが、厚労省の家父長主義だ。これを解体しないかぎり、日本経済の停滞は脱却できない。