宗教改革は、一般には1517年にルターが「95ヶ条の論題」を教会の扉に掲示したことから始まったとされ、免罪符の販売などで腐敗したカトリック教会を改革する運動だったと思われている。佐藤優氏のような理解がその典型だが、本書はこうした俗説を歴史的証拠にもとづいて否定する。
教会改革のような政治的紛争は、社会のもっと深い層で起こっていた変化の帰結にすぎない。それは中世末期に始まったヨーロッパのキリスト教化である――というと日本人には奇異に思われるだろう。ヨーロッパはローマ帝国の時代から、キリスト教文化圏だと思われているからだ。
教会改革のような政治的紛争は、社会のもっと深い層で起こっていた変化の帰結にすぎない。それは中世末期に始まったヨーロッパのキリスト教化である――というと日本人には奇異に思われるだろう。ヨーロッパはローマ帝国の時代から、キリスト教文化圏だと思われているからだ。
しかしローマ帝国の支配はきわめてゆるやかなもので、各属州の自治を認め、納税すれば内政には干渉しなかった。民衆の文盲率は90%以上で、聖書なんか読めなかった。各地には民俗信仰があり、カトリシズムはそういう異教との折衷だった。神聖ローマ帝国は神聖でもローマでも帝国でもなく、ローカルな領邦の連合だった。
こういう状況を変えたのが、中世末期の戦争と疫病である。人口が3割以上も減り、人々がつねに死と直面する社会では、それを救済する(死に意味を与える)教会の権威が強まる。ローマ教皇が全欧を統一する精神的な中枢になり、一時は皇帝を上回る権力をもった。
それを支えたイデオロギーがスコラ哲学だが、新約聖書には哲学的内容がほとんどないので、トマス・アクィナスの神学はアリストテレスの異教的な自然学との折衷だった。これは膨大だが首尾一貫していないので、それを批判するスコトゥスやオッカムは異教的な部分を排除し、ユダヤ的な部分に純化した。その帰結が宗教改革で、その意図せざる結果が近代科学と資本主義だった。
このへんは著者がいうほど論争的ではないが、オリジナルでもない。古くはマックス・ウェーバーから、最近ではGillespieのような哲学史の研究者も指摘している話で、「相対主義でアメリカ社会が混乱している」という話も(著者も認めるように)マッキンタイアの焼き直しだ。
日本人として興味あるのは、中世以前の異教的なヨーロッパが同時代の日本に似ていたことだ。ローカルな慣習法はあったが全欧的な法典はなく、戦争が起こっても調停者がいなかった。中国のように一つの王朝が全欧を統一すればキリスト教の出番はなかったかもしれないが、統一国家ができなかったので、12世紀以降の教会法が法の支配の原型になった。
だから天皇制は、中世以前のローマ教皇のような名目的な君主が現在に至ったと考えることもできる。日本でも全国を統一する支配者は出てこなかったが、その1/4を支配した徳川家が戦争を「凍結」し、各地の共同体はローカルな慣習法でやっていた。
それを突破するイデオロギーとして幕末に出てきたのが、儒教的な尊皇思想だった。これは「人の支配を超えて神の支配に回帰する」という宗教改革に似ていたが、儒教にはキリスト教ほどの求心力がなかったので、明治維新が終わると消えてしまった。
ただ、その帰結は同じである。ユダヤ的普遍主義は科学の世界では大成功を収めたが、宗教の世俗化した人文科学は「人生の意味」を与えることに失敗した。かつては一部の知識人の思想だった無神論が民衆に広まり、紛争が収拾できなくなった。
その最先端は日本だが、それは著者のいうほど暗い社会でもない。日本人は昔から神の救いを求めるほど絶望したことがなく、人生に意味がないことを知っているので、それを与えてもらう必要もないのだ。
こういう状況を変えたのが、中世末期の戦争と疫病である。人口が3割以上も減り、人々がつねに死と直面する社会では、それを救済する(死に意味を与える)教会の権威が強まる。ローマ教皇が全欧を統一する精神的な中枢になり、一時は皇帝を上回る権力をもった。
それを支えたイデオロギーがスコラ哲学だが、新約聖書には哲学的内容がほとんどないので、トマス・アクィナスの神学はアリストテレスの異教的な自然学との折衷だった。これは膨大だが首尾一貫していないので、それを批判するスコトゥスやオッカムは異教的な部分を排除し、ユダヤ的な部分に純化した。その帰結が宗教改革で、その意図せざる結果が近代科学と資本主義だった。
このへんは著者がいうほど論争的ではないが、オリジナルでもない。古くはマックス・ウェーバーから、最近ではGillespieのような哲学史の研究者も指摘している話で、「相対主義でアメリカ社会が混乱している」という話も(著者も認めるように)マッキンタイアの焼き直しだ。
日本人として興味あるのは、中世以前の異教的なヨーロッパが同時代の日本に似ていたことだ。ローカルな慣習法はあったが全欧的な法典はなく、戦争が起こっても調停者がいなかった。中国のように一つの王朝が全欧を統一すればキリスト教の出番はなかったかもしれないが、統一国家ができなかったので、12世紀以降の教会法が法の支配の原型になった。
だから天皇制は、中世以前のローマ教皇のような名目的な君主が現在に至ったと考えることもできる。日本でも全国を統一する支配者は出てこなかったが、その1/4を支配した徳川家が戦争を「凍結」し、各地の共同体はローカルな慣習法でやっていた。
それを突破するイデオロギーとして幕末に出てきたのが、儒教的な尊皇思想だった。これは「人の支配を超えて神の支配に回帰する」という宗教改革に似ていたが、儒教にはキリスト教ほどの求心力がなかったので、明治維新が終わると消えてしまった。
ただ、その帰結は同じである。ユダヤ的普遍主義は科学の世界では大成功を収めたが、宗教の世俗化した人文科学は「人生の意味」を与えることに失敗した。かつては一部の知識人の思想だった無神論が民衆に広まり、紛争が収拾できなくなった。
その最先端は日本だが、それは著者のいうほど暗い社会でもない。日本人は昔から神の救いを求めるほど絶望したことがなく、人生に意味がないことを知っているので、それを与えてもらう必要もないのだ。


