おとといの記事のおまけ。Aghion-Tiroleの理論は単純なので、いろいろ応用がきく。これを国家にあてはめると、こんな感じだ。

aghion
法的な国家主権も実質的な権限も君主に集中するのが絶対王制で、両方とも有権者に分散するのが共和制だが、天皇制は名目的な主権だけを天皇に与え、実権は摂政・関白や将軍などの「令外の官」がもつしくみだ。このまつりごとの構造は、丸山眞男が指摘したように、形式の同一性を保ちながら実質的な変化に対応する洗練されたシステムであり、少なくとも平安時代から続く日本の伝統である。

明治憲法の失敗は、この天皇に絶対君主のような軍を統帥する実質的な権限を与えたことだ。もちろん天皇には軍をコントロールする力はないので、実質的にはナンバー2の「元老」が最高権力者になる。しかしこれも令外の官なので、その権限は伊藤博文や山県有朋の「元勲」としての威光や長州閥の人脈に依存しており、西園寺になると元老の力はなくなった。

この構造は現代にも受け継がれている。安倍首相を初めとする閣僚は名目的な権力者で、実権は事務次官以下の官僚がもっている。しかし法的には閣僚の権限は強いので、官僚の最大の仕事はそれを発動させないことだ。国会待機にばかげた労力が費やされるのも、答弁で大臣が立ち往生すると担当者が懲戒処分されるからだ(霞ヶ関ではよくある)。

この構造は日本社会に遍在する。企業の主権者である株主は名目的な議決権を行使するだけで、実権は経営者がもっている。これは結果的に所有と経営の分離した経営者資本主義に日本企業が適応する原因になった。ここでは天皇(株主)と将軍(経営者)を分離する伝統が生きているが、株主の権限は「持ち合い」や買収防衛策でブロックされているので、資本収益率が低くても企業買収ができない。

この構造が1000年以上も続いている一つの原因は、丸山もいうように権力の集中を防いで平和を維持する集中排除の精神だろう。だから天皇制は平時のシステムであり、戦争には向いていない。最高指揮官が無力化されているので指揮系統が混乱し、前の戦争のような大惨事になる。

天皇制の対角線上にあるのが、国家権力ではなく資本力で支配するネグリ=ハートの<帝国>である。たとえばアップルがフォックスコンを支配し、グーグルがサムスンを支配する力の源泉は武力ではなく、技術やブランド力だ。これがグローバル資本主義の完成された形態であり、<帝国>の領土を争う「世界大戦」は、サイバースペースで行なわれているのだ。