一昨日の安倍首相の記者会見で驚いたのは、「戦争のできる国にはならない」とか「湾岸戦争のような事態でも派兵しない」といった腰の引けた内容だ。これなら現状とほとんど変わらないので、わざわざ閣議決定なんかする必要はない。公明党が実質的な意思決定権をもっている状態では、憲法改正は見果てぬ夢である。
実は、こういう状況は今に始まったことではない。本書で中江兆民が「洋学紳士」に語らせているのは、ほとんど朝日新聞と同じ空想的平和主義だ。「豪傑の客」が「もし凶暴な国があって、わが国が軍備を撤廃するのに乗じて軍隊を送ってきたら、どうしますか」と質問したのに対して、洋学紳士はこう答える。
フクヤマのいうように近代国家の必要条件はアカウンタビリティだが、これは民主主義と同義ではない。むしろイギリスのように議会勢力が資本をもつ少数の特権階級であるほうが、ガバナンスが有効に機能する。企業統治で、機関投資家が強いほうが牽制が機能するのと同じだ。
英米型の議会が「二大政党」になるのは、このような対抗権力を維持する伝統があるためで、小選挙区制にすれば二大政党になるというのは幻想だ。権力の中心が空白になっている日本では、対抗権力も育たない。与野党ともに官僚機構にぶら下がって内向きの「平和」を守ろうとする伝統は、明治憲法から120年以上変わらない。株式の「持ち合い」で資本市場をブロックして、外部の牽制を排除する日本の会社と同じだ。
このように指揮系統もチェック機構もない国家は戦争に生き残れないので、中世に数百の国家が戦争を続けたヨーロッパでは、早い段階で消えただろう。日本のように国家の体をなしていない国家が戦後70年も生き残ったのは、ほとんど奇蹟といってよいが、それが今後も続く保証はどこにもない。
実は、こういう状況は今に始まったことではない。本書で中江兆民が「洋学紳士」に語らせているのは、ほとんど朝日新聞と同じ空想的平和主義だ。「豪傑の客」が「もし凶暴な国があって、わが国が軍備を撤廃するのに乗じて軍隊を送ってきたら、どうしますか」と質問したのに対して、洋学紳士はこう答える。
一振りの剣も一発の弾丸もたずさえず、われわれは静かにこう言いましょう。あなたがたに無礼を働いたことはない。[…]彼がなおも銃砲をわれわれに向けるなら、ひるまずこう言いましょう。君たちは何たる無礼か、と。あとは弾を受けて死ぬだけのこと。(p.73)当時のヨーロッパは帝国主義戦争の最中なので、兆民がこういう平和ボケを学んだとは思えない。彼は多分に戯画化しているが、彼の中にそういう感覚があったことも事実だろう。彼自身が自由党から帝国議会選挙に出て当選したが、翌年辞職している。「自由民権」の看板に隠れて政府と裏取引する政治家に失望したからだ。
フクヤマのいうように近代国家の必要条件はアカウンタビリティだが、これは民主主義と同義ではない。むしろイギリスのように議会勢力が資本をもつ少数の特権階級であるほうが、ガバナンスが有効に機能する。企業統治で、機関投資家が強いほうが牽制が機能するのと同じだ。
英米型の議会が「二大政党」になるのは、このような対抗権力を維持する伝統があるためで、小選挙区制にすれば二大政党になるというのは幻想だ。権力の中心が空白になっている日本では、対抗権力も育たない。与野党ともに官僚機構にぶら下がって内向きの「平和」を守ろうとする伝統は、明治憲法から120年以上変わらない。株式の「持ち合い」で資本市場をブロックして、外部の牽制を排除する日本の会社と同じだ。
このように指揮系統もチェック機構もない国家は戦争に生き残れないので、中世に数百の国家が戦争を続けたヨーロッパでは、早い段階で消えただろう。日本のように国家の体をなしていない国家が戦後70年も生き残ったのは、ほとんど奇蹟といってよいが、それが今後も続く保証はどこにもない。



