日経BPクラシックス 道徳感情論
欧米では階級間の格差が拡大し、日本では世代間の格差が拡大しているとき、社会を利己心ではなく共感で見るアダム・スミスの古典が出版されるのは時宜にかなっている。序文を書いているのがアマルティア・センとなれば、連休の読み物としてはいいかもしれない。

本書は日本では人気があり、堂目卓生氏のように『国富論』の「見えざる手」との関係を論じる「スミス問題」についての論文が山のようにあるが、率直にいってこれは無意味な問題だと思う。『国富論』は「見えざる手」によって経済がうまく行くと主張する経済理論ではないからだ。
ほとんどの人は『国富論』の全体を読んだことがないと思うが、その大部分は重商主義批判である。有名なピンの話は序文に少し出てくるだけで、後半(多くの訳本では省略されている)は経済政策論だ。スミスはブルジョワジーを代表してジェントルマンを批判したのであり、「見えざる手」は国王と結託した貴族や大地主の「見える手」による介入を批判する言葉だった。

スミスの本業は本書のような道徳哲学であり、彼は一貫してこういう啓蒙的な道徳を主張していたが、これだけ読むと凡庸で退屈な本である。彼が『国富論』の著者でなかったら、誰も読まないだろう。ここには読者の期待するような「利己心と共感の緊張」といった問題は何も書かれていない。『国富論』は本書の20年近く後に発表された政治文書であり、両者には何の関係もないからだ。