さっき配信したメルマガの付録。あまりにも複雑になるので省いた話を書いておく(非常にテクニカル)。
『独裁力』は読み物としてはおもしろいが、なぜ独裁力が必要なのかという肝心の問題に答えていない。メルマガに書いたハートの標準的な企業理論によれば、独裁はホールドアップ問題を防ぐための垂直統合ということになるが、これでは昔のGMやIBMなどの古典的な垂直統合企業が没落した原因を説明できない。

それは拙著で(17年前に)論じたように、要素技術がモジュール化されて、業界が水平分業になったからだ。これはデルのように世界中から標準的な部品を調達して組み立てる企業を想定していたが、Windowsマシンのような標準化された製品はコモディタイズしやすい。

いま起こっているのは、アップルやアマゾンが海外の契約企業にアウトソースする個人資本主義である。これは固有規格で統合されているのでコモディタイズしにくいが、下請けにとっては固有規格で囲い込まれると、ホールドアップされるリスクが大きい。なぜフォックスコンは、アップルに囲い込まれることを選んだのだろうか?

Hart-Holmstromはこれをプラットフォーム(*)で説明する。物的資本がボトルネックになっている場合は、垂直統合して同じプラットフォームを共有するか、独立に別々のプラットフォームを使う以外の所有形態は最善にならないが、プラットフォーム価値が大きい場合は、独立の企業が同じプラットフォームを共有することが有利になる場合がある。

企業買収した場合も、なるべく子会社の独立性を高めることが望ましい。Hart-Holmstromはシスコシステムズの事例でこの理論を検証しているが、ここでは狭義の物的資本よりもIOSという譲渡不可能な情報資本が企業グループを統合するコアになっている。これはRajan-Zingalesなども論じたケースで、OSで統合されていれば物的資本は統合しなくてもいい。

大事なのは、親会社のボスのコミットメントである。IOSに囲い込まれた企業は他のOSは使えないので、親会社の方針がころころ変わると困る。この点で、チェンバースのようなカリスマ経営者が独裁的に決めることが必要だ(所有権もコミットメントの手段)。ユニクロの契約も、事後的に変更しないことで有名だ。

日本企業は、このような情報資本が自動車のように契約不可能な形で分散している場合には、長期的関係で事後的に契約を変更する柔軟性があっていいのだが、ITのように契約可能性が高まると残余コントロール権が曖昧なことが命取りになる。情報がモジュール化されたITでは、民主的な企業より独裁的な企業のほうがいいのだ。

(*)細かい突っ込みがこないようにいっておくと、原論文の言葉はcoordinationだが、これにはいろんな解釈が考えられ、事例研究ではIOSの共有を意味している。