人口の減少する日本経済が(GDPベースでは)衰退することは避けられない。それは人が老いて死ぬのと同じ宿命のようなものだが、GDPは幸福の指標ではなく、市場で使われた金銭の集計にすぎない。ルソーは「金をもつことは自由の手段だが、それを稼ぐのは奴隷になることだ」と言った。金銭は自由を得るための手段であって目的ではない。
労働を自由を奪われる苦役と考えるのは近代ヨーロッパに固有の発想で、歴史上のほとんどの時期において労働は遊びと一体だった。中世ヨーロッパの農業社会では、1日は時計の時間ではなく、鳥の鳴き声や太陽の光で始まる。仕事には決まった就業規則があるわけではなく、それぞれの共同体時間で始め、休憩して終わった。
しかし城壁で自然から隔てられた都市で多くの人々が生活するようになると、教会と世俗的な生活が分離し、工場で働くようになると労働が規則化された。都市には時計台が設置され、人々が厳密に同じ時間を守るようになった。時間が全国どこでも同じになり、暦がグレゴリオ暦で統一されたのは16世紀以降である。
就業規則が作られ、人々は工場の時計に従って働き、労働時間と余暇が分離した。工場では人々は限られた時間の中で、休む暇もなく懸命に働いた。仕事中の飲酒は禁じられ、日曜日に酒を飲んだために月曜日に仕事を休む「聖月曜日」の慣習もなくなった。
このように労働が人間から疎外されたことを批判し、労働が遊びになる「自由の国」をめざしたのがマルクスだった。
続きは9月22日(月)朝7時に配信する池田信夫ブログマガジンで(初月無料)
労働を自由を奪われる苦役と考えるのは近代ヨーロッパに固有の発想で、歴史上のほとんどの時期において労働は遊びと一体だった。中世ヨーロッパの農業社会では、1日は時計の時間ではなく、鳥の鳴き声や太陽の光で始まる。仕事には決まった就業規則があるわけではなく、それぞれの共同体時間で始め、休憩して終わった。
しかし城壁で自然から隔てられた都市で多くの人々が生活するようになると、教会と世俗的な生活が分離し、工場で働くようになると労働が規則化された。都市には時計台が設置され、人々が厳密に同じ時間を守るようになった。時間が全国どこでも同じになり、暦がグレゴリオ暦で統一されたのは16世紀以降である。
就業規則が作られ、人々は工場の時計に従って働き、労働時間と余暇が分離した。工場では人々は限られた時間の中で、休む暇もなく懸命に働いた。仕事中の飲酒は禁じられ、日曜日に酒を飲んだために月曜日に仕事を休む「聖月曜日」の慣習もなくなった。
このように労働が人間から疎外されたことを批判し、労働が遊びになる「自由の国」をめざしたのがマルクスだった。
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