アゴラで書評した鈴木亘氏の本の35ページに、図1のような数字がある。これは財務省と厚生労働省の見通しをもとに、彼が国民負担率を予測した数字から、可処分所得(国民所得-国民負担)を計算したものだ。

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図1 国民負担の予想(鈴木亘氏による)
これを見ると、2025年に国民負担率は50%を超え、2050年には70%に達する。国民所得(ネットインカム)が年率1%程度は成長すると仮定しても、可処分所得は絶対的に減り、2050年には現在のほぼ半分になる。そこで国民所得が「ゼロ成長」になるとどうなるかをシミュレーションしてみると、図2のようになる。

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図2 ゼロ成長の場合の可処分所得

社会保障給付が同じように増え、税率が9%で一定だと仮定すると、2035年には可処分所得は今より4割近く減り、2075年にはなんとマイナスになってしまう。もちろんそんなことは不可能なので、純所得ベースでゼロ成長だとすると、社会保障は(おそらく2020年代に)破綻するのだ。

だからこども版でも書いたように、これから急速に高齢化する日本で、細川護煕氏のように「脱成長」をめざすのは、経済的な自殺行為である。もちろん1%成長をめざしたからといって実現するとは限らないが、最初からゼロ成長をめざすと、可処分所得が激減することを覚悟しなければならない。

可処分所得が減っても受益者(政府部門)の所得は増えるので、経済全体としてはゼロサムだが、巨額の所得移転が行なわれる結果になる。これは現役世代の労働意欲にも影響し、マイナス成長になる可能性もある。さらに金融資産の65%を60歳以上がもつ富の偏在を考えると、効率的な富の分配が存在するはずだ。

所得分配というのは経済学では理論的な答がなく、退屈な問題と考えられてきたが、このようにストックベースで考えると、少なくとも今の社会保障給付が全員を貧しくするばかりでなく、世代間格差を拡大することは明らかだ。政治家には興味がないだろうが、経済学的な答だけでも出す必要があろう。